(2018年3月17日のJRグループおよび各私鉄のダイヤ改正に関するニュースはこちらに一覧があります)
京都市交通局と京阪電鉄は2018年3月17日、京都市営地下鉄烏丸線、東西線、京阪大津線(京津線、石山坂本線)のダイヤ改正をおこなう。
東西線、京阪大津線■京都市役所前発着を太秦天神川に延伸、京阪区間はおおむね減便
地下鉄東西線では、平日ラッシュ時以降(土休日は6時以降)の、京阪車両による京都市役所前折り返しをすべて、太秦天神川発着に延長する。一方で、京阪直通が減る(後述)ことで、京都市役所前−御陵間は12往復の減便となる。
京阪京津線は、現在は日中は毎時15分間隔だが、これを減便して20分間隔とする。
京阪石山坂本線も、現在は毎時8本で、半数は近江神宮前で折り返しているが、これを全線で毎時6本とする。近江神宮前以南は減便となる。
また、京阪では今回のダイヤ改正を機に、4駅の名前を変更する。浜大津は「びわ湖浜大津」、別所は「大津市役所前」、皇子山は「京阪大津京」、坂本は「坂本比叡山口」とする。
烏丸線■大学の2時限目に合わせて増発
平日ダイヤで4往復の増便を行う。朝7時台、10時台、15〜17時台に増便される。10時台の増便は、沿線の大学の「2時限目」の授業開始に合わせたものだとしている。
国際会館発の初電を、現行より5分繰り上げて、5:18発とする。京都では、JRの「はるか1号」に乗り継ぎができるようになるほか、四条での阪急、竹田での近鉄で、それぞれ現在よりも早い列車に乗り継げるようになる。
http://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/cmsfiles/contents/0000231/231307/bessi.pdf
この情報は、ぽちさん、ライジングさんからいただきました。ありがとうございました。
競争力を高める施策がほとんど打てず赤字だけが積み上がっている現状ではやむを得ないかと思いますが・・
路面電車時代より不便になるのも困ったものです
一時石坂線もろとも分社化の話もありましたが、立ち消えたのでしょうか?
ものすごく高額な車両の4両編成が、20分おきに走っているというのはなあ・・・。
もともとJRと競合する中でスピード面で劣る中、京都の中心市街地である三条エリアへのアクセス性において優位性を保っていた路線だったが、商業エリア的な意味でも京都駅の方にウエイトが行きつつあるところにスピード面以外の要素でもJRにパイを持っていかれているということなんでしょうか。
現状の併用軌道を含めた京津線自体も高速化が厳しい以上浜大津まで地下化してもいいかもしれない。
JR琵琶湖線や京都線は15分パターンですから、改正後は列車によって接続時間が変わってきてしまう。これ想像以上に不便です。
なまじっか京都に自社線で乗り入れることを捨てて、JRの盲腸線に徹するのもひとつのソリューションとして考えてもいいかもしれない。
運用数はおそらく昼間時は計5運用と変わらないと予想します。しかし(石坂線の減便と相まって)浜大津折り返しに余裕ができ遅延リスクの軽減に繋がる事、それに伴う乗務員のストレス軽減等労働条件改善、並びに太秦天神川直通が増強される事による判りやすさから観光需要の喚起が図られる点、これらは改善点という事になると思います。
しかし根本的に京津線内や石坂線の多くの区間が減便になる事、E657様のコメントの通りサイクル変更に伴う山科等JR各線との連絡の改悪(京阪線系統とは合いますが…)、そして終電の繰り上げは利便性が後退する点となるでしょう。
現行の昼間15分間隔ですべて太秦天神川まで走らせると、往復90分サイクルなら6運用で一応予備含めて800系の増備なしに賄えますが、折り返しに余裕がなく、逆に7運用105分サイクルだと車両の余裕がなくなり、かつ両終点での折り返しが長くなりすぎ却ってダイヤとして成立しないことになります。あと交通局が京阪に支払う車両使用料の額にも影響します。
そういうわけで直通増強の代わりに減便、という事なんでしょう。
ちなみに京津線廃止論をコメントする方がいらっしゃいますが、他の関西私鉄から琵琶湖方面へは京津線の存在意義は薄いかもしれませんが、京阪線系統沿線からだと三条経由が最速の場合が多く、京津線廃止はただでさえ弱い京阪沿線の鉄道ネットワーク性を更に弱める要因になります。よって廃止には反対です。
やはり15分間隔での太秦天神川⇔浜大津通し運転は物理的には可能です。往復90分サイクルで1時間当たり6運用です。
『京都マラソン開催に伴う一部列車運転の変更』について
・2018年2月18日(日)「京都マラソン2018」開催に伴い、大津線(京津線)の一部列車運転時刻および行先を変更します。
(京阪公式サイトより)
http://www.keihan.co.jp/traffic/news/rinji-kyotomarathon/
乗務員確保の問題、検査等が1編成では回らない、市営地下鉄との間での費用負担、とかいくつか指摘がありますが、実際のところはどうなんでしょうね。
京津線・石山坂本線(2014年/2009年)
平均通過数量:9232/9104
営業係数:158.7/159.6
これが全てを物語ってるんでしょうね…。
多少利用客増えたところで焼け石に水ってところでしょうか。
減っていないだけで大喜びです。それどころかわずかながらも増えているとは!
もし地元利用者が減少し、観光客がこれを補っているのが現状なら、「市役所前までは減らしても太秦までを増やそう」という気持ちになるでしょうね。やってみないとわからないのは京阪も不安でしょうが、それでも座視しているよりはと。
>地元利用者が減少し、観光客がこれを補っているのが現状なら
以前から東西線開業や京都駅周辺の拠点性向上などで京津線自体の利用客自体が減っています。
家で保管している駅配布の京阪の広報紙『くらしのなかの京阪』1988年2月号によると、当時の京阪山科駅の乗降客数が19,744人とあります(ちなみに(京津)三条は17,016人、京阪膳所も1万人越えでした)。2000年辺りまでは京阪も広報誌で旅客流動調査の結果を公表していたので、家に残っている資料を見て確認するしか手はないですが、東西線開業で京阪客は一気に減ったはずです。
今の山科駅周辺は再開発もなされ、JR山科駅の乗客数は増え東西線の山科駅も乗降客数4万に達する大駅ととなり結果的に拠点性が向上していますが、京阪駅だけは閑散としています。
今の大津線系統の赤字を何とかしないと分社化さえできないそうなので、太秦直通本数を増やして観光客誘致を、という事なんでしょう。本線でも洛楽の(再)設定など京都への観光客誘致を図っている点、沿線民の利用客減少の穴埋め策なのでそこは共通していますね。
東西線開業以前と比較すると、山科は1/4程度になるなど大幅に減少したことは、感覚的にもわかります。それでも直近ともいえる2014年/2009年の平均通過数量が9232/9104とお聞きして、今に至るまで減少が続いているわけではなさそう、と思って嬉しかったのです。現在もこの傾向が続いていればいいですが。
山科で4倍の利用者がある東西線開業前同様の状態で800系を走らせてやりたいですね。琵琶湖花火大会など年に数日はそんな日があるんでしょうが。
考えてみると、阪急や阪神がJRWに押されている一方、京阪はJRWもさることながら大阪でも京都でも公営地下鉄にやられている感じですね。特に大阪市営は京阪に恨みでもあるかのようです。(歴史を振り返れば少なくとも潜在的には……)
どちらの地域でも、比較的近年まで競合路線がなかったことの裏返し、ともいえそうですが。
利点とすれば烏丸御池へ直通することぐらいですね。
東西線のパターンは変わらないようなので御陵−太秦天神川間のパターンはどうなるのでしょうか?
合わせて11本になるのでパターンが崩れるかもしれません。
京津線は地下をくぐり、山を越え、路面を走る、こんな路線珍しいですね。
石坂線も膳所や皇子山(ダイヤ改正時に京阪大津京に改称)で乗り換える人も多いのでしょうか?
大津線は専用一日券を廃止して地下鉄との共通一日券に一本化など最近は地下鉄との利用を重視していますね。
以下噂話として聞いてください。
交通局側が市役所前止を前々から廃止したがっていたらしいです。「役所御用達列車」批判や誤乗などが多く、忘れ物の収集も天神川に一本化させたいようです。
近年御陵止は花火、御陵始発はマラソン臨時で運転することが多くありましたが、御陵で折り返す列車が夜間(夕方?)に定期化されるようです。
回送なのか営業なのかは知りませんが
>山科で4倍の利用者がある東西線開業前同様の状態で800系を走らせてやりたいですね。
当時の京津三条⇔山科は、昼間でさえ準急も普通もそこそこ混んでいた記憶があります。昼間のこの区間では通過両数は今と同じ16両/hで、定員自体は今の800系4両編成×4本/hの方が多いと思いますが、それでも結構混んでいる情景が思い浮かびます。
>考えてみると、阪急や阪神がJRWに押されている一方、京阪はJRWもさることながら大阪でも京都でも公営地下鉄にやられている感じですね。
大阪側も京都側も端の方は地下鉄に乗客持っていかれました。他に宇治線含む京都側で京都駅の拠点化による地域構造の変化とJR奈良線の増強、交野線を含む中間域では学研都市線の増強による駅勢圏の縮小もありました。
思えば鉄道ネットワークが脆弱だった地域を京阪が一手に引き受けていたのを、他路線の進出や既設路線の輸送力増強により利用客が転移する状況が最近まで続いていました。今は周辺の新線開業も他路線の輸送力増強も落ち着いていますが、一度離れた利用客は元には戻らないという事でしょう。あとは地域の人口減少と高齢化も影響しているでしょう。
その辺りは阪急阪神とJR西の関係ともまた異なるところだと思います。
ダブル様
>京津線は府県境で勾配とカーブがきついため競争力をつけるのは難しいでしょう。
>利点とすれば烏丸御池へ直通することぐらい
京津線は仰る通りの路線構造なので所要時間が掛かります。ビジネス街化が進む御池通に直通し烏丸線乗換が容易なのも良いのですが、例えば大津市内から烏丸御池の場合、JRが利用できる地域だと京都から地下鉄利用の方が所要時間が短く運賃が安い事もあり、直通効果が半減します。山科⇔烏丸御池だと地下鉄利用の方が速くて安いですが京津線が要らないです。また追分などJR駅から離れた地域では京津線利用一択ですが、そもそもの利用者が少なく集客自体が難しいです。
>東西線のパターンは変わらないようなので御陵−太秦天神川間のパターンはどうなるのでしょうか?
おそらく東西線電車とは独立したダイヤパターンになると予想します。単純に7.5分間隔の間に20分間隔を挿入するだけの形になると思います。基本的に太秦直通になる時間帯では東西線電車とパターンを合わせる必要自体が無くなります。太秦天神川でも昼間は東西線電車と京津線電車の乗り場を分けているので可能だと思います。
>石坂線も膳所や皇子山…で乗り換える人も多いのでしょうか?
皇子山はJR駅まで少し歩きますが(乗換通路がありますが…)膳所は隣接しており乗り換え客は多いです。ただどちらかといえばJRに吸引される状況のように思えます。石山も同様です。
メタ様
>8編成中6運用は綱渡りすぎな気がします。故障とか大掛かりな車両更新とか出来なくなってしまいますし
確かにそうですね。京津線は単一形式なので余裕があるに越したことは無いですね。予備がすべてダメになった場合運行に大きな影響を及ぼします。
御陵折り返し…。もしそういう運用ができた場合でも東西線とは同じホームで乗り換えが可能なのが救いですかね。
一部区間をを増やすために全体で見ると減っているという
ダイヤについてですが、京阪関連の別スレッドに「東西線のパターンは変わらないんでしたっけ? 変わらないなら、20分間隔の京阪と7.5分間隔の地下鉄が干渉しないよう少しずつ調整するんでしょうが、具体的にはどうするのかな?」と1月29日に書きました。
tettyanさんが書かれた「単純に7.5分間隔の間に20分間隔を挿入するだけの形」を基本に、重なるスジを1,2分ずつずらす気がします。市営がなんだかんだと1分たりとも譲らず、京阪だけがずらす可能性もあるとは思いますが。
ダイヤと離れて恐縮ですが、京阪にはいい駅名が続く区間がありますね。私が特に好きなのは、鳥羽街道・伏見稲荷・深草・藤森・墨染と続く平安調というか古今調です。平安調といえば、山陽線の須磨・塩屋・垂水・舞子・朝霧・明石もいいですが、これは源氏物語調ですか。東京では日比谷線の小伝馬町・人形町・茅場町・八丁堀の江戸捕物調が何ともいいですね。脱線してすみません。
800形はよく、非常に高コストな車両だと聞きます。路面電車、山岳路線、地下鉄直通のすべてをこなす車両であり、すべての要素・機能を備えた車両であり、代えの利かない車両と言えます。石山坂本線の車両と違い純然たる路面電車ではないので、寿命もそれなりに短くなるのでは、と思うのですが、特性上コストダウンしにくい車両であり、経営環境も考えるとかなり厳しい未来が待っている気がします…
800系は登場以来20年くらいだと思いますが、高速走行しているわけでもないので、電気機器等の交換は他車同様必要でしょうが、あと10年20年は使えるのではと思います。
その後については、もし需要が回復せず少ないなら、御陵折り返しを原則にすることも視野に入るでしょう。そうすると対面乗り換えは必要になるものの市営車両とのバランスを考える必要はなくなり、2連とか極論すれば単行にすることも可能になるのでは。
御陵折り返しになると、東西線用のATCなどの保安機器も不要になったりで、今よりはシンプルな車両にできる、というおまけがつくかもしれません。
谷町線ですが、天六から守口方面はなぜ城北公園通りのルートにしなかったんでしょうね。おかげで同通りの付近はいまだに鉄道系は不便です。すでに守口市まで京阪は複々線だったから、京阪救済が緊急課題であったとは思えないのですが。
もし800系が何らかの事情で不足するに至った場合。600系や700系が先頭非貫通だったりで地下対応できていないと思うので御陵まで走れないと思います。昔とは逆に600系や700系を浜大津⇔四宮で普通として走らせ、残った800系を同区間通過運転、四宮以西各駅停車で地下鉄に乗り入れさせて少しでも運用数を減らすようにするのでしょうか。配線上難しいかな…。
Bangkok様
>谷町線ですが、天六から守口方面はなぜ城北公園通りのルートにしなかったんでしょうね。…京阪救済が緊急課題であったとは思えないのですが。
市電は城北経由だったらしいので、谷町線とは経路が異なっていますね。京阪の混雑緩和、という趣旨はあったかもしれないです。当時でも複々線は守口までありましたが、昭和45年までは野江〜京橋で複線に戻っていたようで、増え続ける利用客を捌く為の充分な本数は無かったと思います。当時は複々線区間でも今の数倍の乗降客数のある駅もあったり(今は1万人を切るくらいになってしまった千林の乗降客数が3万人以上いた、と聞いたことがあります)、また複線区間でも枚方市以西では乗客が増え続けていたので、インフラが追い付いていなかったであろうと想像できます。
尤も仰る通り城北公園通は今でも市バスが梅田まで頻発しており、地下鉄が経由していれば京阪ともちょうどいい具合に駅勢圏を分ける事が出来ていたのかもしれません。
谷町線の続きです。京橋(天満橋)・野江間の複々線化と谷町線建設の計画や工事は昭和30年代後半から40年代に進んでいますから、京阪と大阪市は互いの進捗状況を知っていたと思います。
また地下鉄は、輸送需要の代替や現にそれなりの道路があることが理由でしょうが、市電(路面電車)のルートの下に建設されることが多いと思います。ですから都島から太子橋今市にかけてのルート選択は、むしろ変則的だったでしょう。
一方で「京阪の混雑に恐れをなして念には念を入れて緩和策を講じたが、今になってみるとやりすぎだった。それだけ」ということもあり得ます。
当時の関係者に「もうはるか昔のことになったから、当時のいきさつをありのままに語ってください」とお願いしたいところですが、記憶が薄れていたり鬼籍に入られた方も多いでしょうね。言っておきたいという方もいらっしゃるでしょうが。
そもそも京阪も梅田乗入の免許を持っていたわけだし
その計画ルートが野江〜桜ノ宮〜天満〜梅田と
谷町線とほぼ併走なんですよねぇ。
実際に建設にも一部着手していて環状線桜ノ宮駅すぐそばに
京阪電鉄乗越橋って言うガードがあるのもその名残です。
(京阪が金出して造ったものです。)
それが叶わなかったのは不況による財源不足もありますが、
市内交通は公営交通で担うという大阪市の政策(市営モンロー主義)によるものなんですよね。
なので都市計画と地下鉄建設がセットみたいになっていたので
混雑緩和と言うより市民生活の利便性向上と都市整備が主目的でしょう。
※当時は京阪の京橋駅はなく市内中心部へは天満橋から市電の時代ですし。
実際京阪梅田線計画に対しては大阪市が相当否定的な態度をとったらしいですし。
京阪の淀屋橋延伸が悲願とされたり、
大阪市中心部に私鉄のバス路線がほぼないのもこの政策によるものです。
(乗入路線も市内はクローズドアで市内交通としては利用はできないようになってました。)
ただ、一方でこの政策がなければ大阪と言う都市が
今のようにはなっていないだろうとも言えます。
(都市計画の財源に公営交通による収益が相当充てられているので)
>市内交通は公営交通で担うという大阪市の政策(市営モンロー主義)によるものなんですよね。
なので都市計画と地下鉄建設がセットみたいになっていたので混雑緩和と言うより市民生活の利便性向上と都市整備が主目的でしょう。
私もしんさんの上記のコメントとほぼ同旨を考えていたので、2月10日 00:17に「谷町線ですが、天六から守口方面はなぜ城北公園通りのルートにしなかったんでしょうね。おかげで同通りの付近はいまだに鉄道系は不便です」と書いたのですが、ほんとになんで鉄道系交通機関に恵まれない城北公園通り周辺を置き去りにして、京阪に絡みつくようなルートにしたんでしょう? 京阪沿線から梅田へは不便だからそれを改善する、とでも説明したのでしょうか?
この一連の話題は、2月07日 20:12に「特に大阪市営は京阪に恨みでもあるかのようです。(歴史を振り返れば少なくとも潜在的には……)」と書いたことがスタートですが、市営モンロー主義が京阪などの私鉄と間で軋轢を起こしてきたことが影響した、という考えが今も頭からぬぐえません。
京阪と大阪市とのゴタゴタは、当時既成市街地の外の天満橋を不本意ながらターミナルにせざるを得なかったことに始まり、これによりしんさんが指摘された「淀屋橋乗り入れが悲願」となったと思っています。京阪の悲願実現は市にとっては愉快ではなく、それが谷町線の変則的なルート選定に……。
今となれば遊び以上にはなりませんが、市営モンロー主義がなければ?の想像は楽しいです。淀屋橋あるいは北浜まで地上線でとりあえず乗り入れたものの、市街の発展に伴って戦前に地下化せざるを得なくなっていた気がします。そうすると御堂筋線の建設と重なり、立体交差になっていた(少なくとも将来できるように準備された)のではないでしょうか。
現実の御堂筋線と京阪線はほぼ同じ高さで、「京阪はこれ以上西進できない」ことが中之島線の建設につながったと思いますが、そもそもなぜ同じ高さなのでしょう。工事費の節約?下越し工事は御堂筋線の安全に問題があるとかいって市が拒否した?
あとから下越しするなんて例はいくらでもありますから昔から疑問でした。事情をご存知の方があれば教えて頂ければと思います。表向きはあくまで工事費節減だったり、安全確保なんでしょうが。
また東京流であれば、淀屋橋乗り入れに際し、天満橋から西九条は市営地下鉄で建設し、京阪・市営・阪神の3社乗り入れになっていたかもしれません。
阪神といえば難波乗り入れですが、これも東京流であれば、上本町から難波を経て野田あるいは西九条までは市営で建設し、阪神・市営・近鉄の3者乗り入れになっていたかもしれません。今度は上記の京阪を含めた3社乗り入れとの調整が難航したかもしれませんが(笑)
谷町線に戻ると、守口で京阪と相互乗り入れして城北公園通り経由で東梅田に向かっていた、というのがありそうなシナリオの一つです。
モンロー主義はいろいろなマイナスを生みましたが、利用者にとってすべて悪かったということではないと思います。
3者より2者あるいは1者で建設されれば、運賃は安いですし、市営で建設されれば大阪難波から近鉄特急が今ほど頻繁に運転されることもなかったでしょう。
ちょうど、谷町線から大阪市内の鉄道整備に話を広げていこうと思っていたので、しんさんの書き込みはいいタイミングでした。一人で延々書いていると「うるさい!」とのご意見も頂きそうですし。
京阪としても現時点では乗り入れ廃止は考えていない上で、需要とのバランスや車両のランニングコストを抑えるという観点も、今回のダイヤの答えに含まれている感じがしますね。京阪も車両寿命のことは少し考え始めているのかも。
※烏丸線では近鉄京都線のダイヤ変更の影響で日中にも行先変更あり
http://www.city.kyoto.lg.jp/kotsu/page/0000232230.html
※現時点で京阪大津線は未公開。
2月09日20:21に「tettyanさんが書かれた『単純に7.5分間隔の間に20分間隔を挿入するだけの形』を基本に、重なるスジを1,2分ずつずらす気がします。市営がなんだかんだと1分たりとも譲らず、京阪だけがずらす可能性もあるとは思いますが」と書きました。
後段の「京阪だけがずらす可能性もあるとは思いますが」までそうなっているようなのは余計で、そこはなんだか嬉しくないです。
Bangkok様の仰る通りでした。東西線電車のダイヤはほぼ変更が無く、基本的に京阪だけ変更されています。しかも昼間時は完全20分サイクルにはならず東西線電車と被るところをずらしています。そういえばプレスリリースには『約』20分間隔って書かれていましたっけ?
ただ夕刻以降は現行市役所前発着の方が多い位のところ、新ダイヤでは減便とはいえ15分間隔で太秦直通、という点は救いのように思います。
少なくとも私が毎日利用する石山坂本線の浜大津駅以南は、JRの補完路線という性格が強まっています。朝夕には沿線の企業への通勤客もそれなりにいますが、それ以上に琵琶湖線沿線から沿線の学校に通う高校生が多く、昼間や休日にはJRに乗り換えて京都方面に向かう沿線住民が目立ちます。
大津市は県庁所在地でありながら昼間人口より夜間人口の方が多く、隣接する草津市からの通勤通学者より草津市への通勤通学者の方が多いような状況です。
マンション開発もJRの駅前が中心で、浜大津をはじめ京阪沿線の旧市街地の存在感は薄まる一方です。
そういう状況のもとでは、小さな駅で利用者を拾い集めて近くのJR駅まで運ぶことや、割引率の高い高校生(通学定期ユーザー)を運ぶことが主な仕事にならざるを得ず、商業開発など面での展開も難しく、経営的には苦しいと思われます。
昔に比べて琵琶湖線や湖西線の利便性が増し、更に京都駅前や草津市内の拠点化が進んだ結果、石坂線沿線にお住いの方々でも、京阪(+地下鉄)で完結する使い方からJRとの連絡という使い方にシフトしている、という事でしょうか。
確かに開発が進むのは大津駅前などJR沿線が中心で京阪の方は昔からの住宅街が多く開発の余地が無い、という事なのでしょう。
かつては石坂線も昼間は全線15分間隔でしたが、当時の京阪の広報資料からは、その頃の方が乗降客が多かったように読み取れます。せっかく便利になっても、様々な状況の変化からそれが結果に繋がらない、という状態だと思います。
沿線商業施設への誘致については、浜大津アーカスの更なるPRが必要だとは思います。
休日夕方の烏丸御池駅は最大11分待たされますし、烏丸線からの接続も改善されていません。
市内はバスの混雑がひどいので地下鉄の利用も増え最近は東西線も御池〜山科の間はかなり混んでいます。
一日券の割引や乗継割引の拡大もあるようなので、地下鉄のダイヤはもう少し工夫してほしいところですね。
「せっかく便利になっても、様々な状況の変化からそれが結果に繋がらない」。その通りだと思います。
浜大津エリアは地元プロバスケチームの本拠地となるアリーナの建設という明るい話題もありますが、残念ながら周辺の商店街も含めて賑わいは失われており、アーカスもラウンドワンが辛うじて床を埋めている状態と思われます。
ただ、滋賀県のHPで公開されている輸送実績
http://www.pref.shiga.lg.jp/c/toukei/ruinen/index.html
を見ますと、大津線の輸送人員は1997年の京津線一部廃止を経て2000年代前半に急減したあと下げ止まり、2015年度には1999年度の水準まで回復しているのは明るい材料です。
利用者が増えても利用距離が短くなれば思うように収入は伸びませんし、特に石山坂本線は輸送単位が小さく費用がかさみがちです。
最近になって駅の無人化や駅員の非正規化も進んでおり、内部補助の原資を生む京阪線の利用者も減る中で、大津線として身の丈にあった体制の模索が続いているように感じています。
浜大津や石山を除きエレベーターなどはない大津線ですが、そうした駅ではホーム上と道路の高低差が1m程度しかありません。スロープをきちんと整備していけば、大仰で面倒かつ高価な施設なしでバリアフリー化が可能であるなど、長所もあります。
観光客誘致と併せて、こうした今後の社会動向に合致した面を生かしていけば、全盛期には及ばずとも生き残っていけるような気がします。
歴史ある町や峠を走る、何ともいい雰囲気の大津線の風情をいつまでも楽しめることを期待しています。
だから乗り入れ区間は三条までとしたいが、運用上、市役所前まで伸ばした。これが開業時の事情。
しかしその後、嵐電は京阪グループになった。京都を副拠点にしたい京阪にとっては阪急に対抗する橋頭堡かつ、京津線とネットワーク化して京都市街地の東西を権益に収められる。この東西軸を強化したい。
ところが800系は編成数が限られ、増備もしがたい。そこで京津線を間延びさせてでも市役所前止まりを廃止し、琵琶湖〜三条〜嵐山軸の輸送安定性を強化した。
経営戦略的にはこうでしょう。
「結局東西線に浜大津行きが続行運転になってるのでさほど改善された感じがしませんね」とのことですが、今回改正の主目的は「嵯峨嵐山方面と比叡山琵琶湖方面の移動を容易にする」ことだと思うので、短い京阪乗り入れ編成がこれ以外の流動を極力受けないようにするのは、少なくともこの面からは適切だと思います。京阪だけ20分間隔をずらしているのは面白くないですが。
kehさん
先ほどの書き込みは「一方、東西線乗り入れは京津線地下化がルーツ。」から始まっていますが、「一方」の前段は何でしょうか? すみません、見つけられませんでした。
この「一方」は消し忘れでした。失礼しました。
資料拝見いたしました。2002〜03年辺りが底のようですね。輸送人員の回復が数字にて実感できたことで少し安心しました。
それでも減便を伴うダイヤ変更が必要というのは、例えばJRとの短距離連絡輸送が中心になりつつある等、役割の変化に伴って一人当たりの平均輸送キロが下がるなど客単価の減少が背景にある、というのはあるかもしれませんね。
『身の丈に合った体制を模索している』、というのも的を得ているように思います。
※ただし駅名選択画面が3/17の駅名変更に対応していない(ダイヤ検索の検索結果画面・各駅時刻表は変更後の駅名になっている)
https://www.keihan.co.jp/traffic/
両線とも最終から2運用分をカット、入庫運用もそれに伴い前倒しになっています。そのため40分程度の終電繰り上げとなっています。あとすでにプレスリリースに挙がっていた昼間は勿論の事、朝ラッシュ時前後や夕夜間も一部減便されています。
京津線東行きでは終電1本前までの3本が御陵止めに変更されています。折り返しは1本は翌朝の市役所前発浜大津行き初電のための回送、他は四宮か錦織へ向けて回送になるのでしょうか。それなら営業運転してもいいのでは、と思うのですが…。
平日の昼間ですが、浜大津から坂本に向かって車内が空いてくるものと思っていたら、近江神宮前以北でも乗降の動きが結構大きい事に気づきました。
周辺は山裾から琵琶湖にかけて住宅地が広がり、地形の起伏もあるので地元の方が足代わりに使っているのが想像できます。勿論変更前のダイヤなので15分間隔区間であり、平均待ち時間が長い分乗客の滞留があるのは承知の上ですが、車両やホームの容量を考えると昼間の全線10分間隔化の意味を理解できるようになってきました。
但し近江神宮前以南では減便であり、こちらも石山以北では決して車内が空いている訳でもなく、昼間時間帯とはいえ本数が25%減った事による影響が今後どう出るかは興味深いです。
あと終電の大幅繰り上げによる影響ですね。JRも数年前に終電が繰り上げられたエリアですが、今後は日付が変わる辺りに利用する人は京都駅まで出向いて地元近くのJR駅まで帰る、という流れになるのでしょうか。そういった行動パターンの変化にも関心を持っています。
京阪沿線からだと、京阪本線→京都市交→京津線、と初乗り運賃がトリプルでかかってくる。
こんなの観光客だって使いませんよ。
鉄道好きだとダイヤや車両のことに目が行きがちですが、関西私鉄は「JRよりは遅いけど安いから乗る」みたいなところもあるわけで、運賃を無視した交通政策はありえないかな、と思います。
問題はそれで減収分を補うほど客が増えるのかということですが、最初は企画切符でやったらどうですかね。
>運賃の問題が大きいと思いますね。
京阪沿線からだと、京阪本線→京都市交→京津線、と初乗り運賃がトリプルでかかってくる。
→京阪沿線からだと、丹波橋→JR京都→山科ルートは実質4社局分の運賃がかかって却って高く、しかも所要時間は三条ルートとほぼ同じなので、三条ルートの方が運賃と乗り換え回数の点から一応有利という事になります。
尤も現状京阪線区沿線→大津線区という流動は極めて小さく、需要喚起策として企画切符もありましたが、基本的に放置状態です
そのような状態なので、京阪線区の沿線だけで大津線区への流動を増やすのは厳しく、他地域からJR山科をはじめ膳所・石山・大津京を介して如何に大津線系統に乗ってもらうかがカギになると思います。
【東西線】洛西ニュータウン方面への延伸(経営難で凍結)について、西京区の基本計画から削除される
※ソースは京都新聞ですが、ネットだと会員専用記事の為、URL貼り付けは見送らせて頂きます。
10年前に「地下鉄東西線の西京区への延伸を西京区民は切に願っています」と明記されていた計画が、8月に発表された第3期基本計画では項目自体が削除されています。これで消滅と言っても良いのでしょうか…
10年前の基本計画:https://www.city.kyoto.lg.jp/nisikyo/cmsfiles/contents/0000096/96420/honnsatu.pdf
第3期基本計画:https://www.city.kyoto.lg.jp/nisikyo/cmsfiles/contents/0000287/287932/dai3kinishikyokukihonkeikaku_honsatsu.pdf