当サイトのコメント欄にご参加のみなさま、とても有意義なコメントを多数ご投稿いただきまして、本当にありがとうございます。
こちらは、記事に紐付かないコメントを投稿していただく場所として、用意いたしました。
「このサイトのコメント欄に書きたいが、関連する記事が見当たらず、どこに書いていいのかわからない」という場合もあるかと思います。そのときは、こちらのコメント欄にお寄せください。
(Bangkokさんの投稿を元にこちらを作ってみました。ありがとうございました)
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公共交通機関に限って、どういう人がどんな手段を選ぶかを考えてみると、
@費用はかかっても急ぐ人は、2回乗換えの北陸新幹線・しらさぎ・東海道新幹線になっても早くなるのは歓迎でしょう。これはしらさぎにとって固い客層です。
Aまずまず早く、まずまず楽に行きたい人。この人たちがこれまでしらさぎを、北陸・名古屋間通しで利用してくれた客層でしょう。敦賀開業後には乗換えが必要になるなら、敦賀・名古屋間をしらさぎにするか高速バスにするかは、その時の状況によって利便性・快適性・経済性などから適宜決めそうです。ここはしらさぎから逃げていくかもしれない客層です。
Bとにかく乗り換えが嫌な人は、高速バス一択になります。これは確実にしらさぎから逃げていく客層です。
C時間はかかっても安く行きたい人や、鈍行や高速バスが好きな人。これらの人はこれまでもしらさぎを利用していませんから、逃げていく客層でもありません。
@〜Cの需要がそれぞれどれくらいのボリュームかわからないので、確かなことは言えませんが、しらさぎの将来は厳しそうです。
調べてみたら、名古屋・金沢間は257qでしらさぎで約3時間なのに対して、大阪は268qと遠いのにサンダーバードで2時間40分ほどです。なので、表定速度が同じなら、しらさぎは約2時間35分のはずです。
もし、線形の良い余呉・米原間や大垣・名古屋間でサンダーバードのように130q/h運転をし、大垣・関が原間を垂井経由にして高速化していれば、米原でのスイッチバックと米原・関が原の線形の悪さによる10分程度の増を加えても、現在より15分短縮の2時間45分程度にはなっていたでしょう。
湖西線建設に比べればずっと安いこうした改良がされなかったのは、投資効果やJR化後は2社にまたがるために両社とも今一つ前向きにならなかった、といったことがあったのでしょうね。
大阪・敦賀間は高速道路に対してショートカットしていますが、名古屋・敦賀間は逆に高速道路がショートカットしていて、スイッチバックもあります。これも考えると、長浜・大垣をショートカットする路線(鉄道黎明期の長浜から大垣へのルートに近い?)でも建設しないと勝ち目がない、ということで見送ってきたのかもしれません。
個人的には、バスは振動が多く、疲れるので、長距離は鉄道の方が楽ですが。
1.「北」東西連絡通路の新設
最近続けて大宮駅で、JRとニューシャトル、JRと野田線、を乗り換える機会がありました。どちらも結構歩く必要があり、あらためて現在の東西連絡通路に並行して、「北」東西連絡通路を新設すると便利になると思いました。
ニューシャトルからは改札を出てすぐに左折、野田線からは改札を出て現エスカレーターを昇ってすぐに右折し、この新設連絡通路に設置する「JR新北改札」に至るイメージですね。そしてこの改札を入ると、エキュート大宮ノースにも至ります。
これにあわせてエキュート大宮ノースの拡張もできるし、JR東にも相当メリットがあると思うのですが。だからといって、せっかくエキュートを拡張するのに、乗り換えを便利にすると素通りされてしまうと考えて、下記2.をパスするのは困ります。部分の利益(エキナカ)より、沿線全体の魅力を高めて少子高齢化の中でも利用者を確保し、長期的な全体の利益を追求してほしいと思っています。
2.高崎線・東北線間の対面乗り換えの実現
多分もう5年を超え、6,7年くらい前から同じことを繰り返し書いています。先人のおかげで、平面交差支障なしで、北行南行ともこれを実現するのに必要な立体交差化は50年以上前に完成しています。配線改良とホームの改造で実現できると思います。
確か京浜東北線利用歴45年さんが書かかれていたと思いますが(記憶違いでしたら申し訳ありません)、池袋・東京・横浜・新宿・渋谷で進めてきた大駅の改良工事は順次終わるか、ピークを過ぎつつあります。そろそろ大宮駅の順番になってもいい時期だと思って期待しています。
そこで作成された「大宮駅GCSプラン2020」をみると、先日私が書いたうち、「1.「北」東西連絡通路の新設」はその目玉の一つの「新東西連絡通路」になっていました。いつ完成するかはわかりませんが、実現の方向で検討されていることは間違いなく、これはうれしいです。
一方、「2.高崎線・東北線間の対面乗り換えの実現」については記述がないというか、JR東の施設についてはそもそも触れられておらず、不明です。あれだけの構想が動くのならば、JR東も何かするのでしょうけれど。しかし考えてみれば、対面乗り換えの実現は、「大宮駅グランドセントラルステーション化構想」と一緒に進めなければならないという性質のものではありません。率直にいって相当な年月がかかりそうな同構想とは別に、早期に着手して実現していただきたいと思います。
JR東海名古屋近郊一般列車11月人員 2018比78%
https://company.jr-central.co.jp/ir/passenger-volume/_pdf/000041629.pdf
JR西日本近畿圏一般列車11月人員 2019比86%
https://www.westjr.co.jp/company/ir/finance/monthly/pdf/22.pdf
東武10月人員 76293(2019)→63565(2021) 83.3%
https://www.tobu.co.jp/cms-pdf/monthly_financial_results/202111301519379qrNCG8Y0sRD3UcErzTrjA.pdf
https://www.tobu.co.jp/cms-pdf/monthly_financial_results/20200605131238r8wanOIfZ1Z9o2pxJOrv-Q.pdf
京成10月人員 24364(2019)→19597(2021) 80.4%
https://www.keisei.co.jp/keisei/ir/financial/dl/monthly/2021.pdf?10
https://www.keisei.co.jp/keisei/ir/financial/dl/monthly/2019.pdf?4
東急10月人員 99221(2019)→79053(2021) 79.7%
https://www.tokyu.co.jp/ir/upload_file/m002-m002_02/Railways_Monthly_Report_202110.pdf
https://www.tokyu.co.jp/ir/upload_file/m002-m002_02/Railways_Monthly_Report_202003.pdf
京王11月人員 58143(2019)→45005(2021) 77.4%
https://www.keio.co.jp/company/stockholder/montly_report/pdf/2021nendo/getuji/mr_2021_11gatudo_getuji.pdf
https://www.keio.co.jp/company/stockholder/montly_report/pdf/2019nendo/getuji/mr_2019nendo_year.pdf
相鉄10月人員 19375(2019)→16015(2021) 82.7%
https://ssl4.eir-parts.net/doc/9003/ir_material_for_fiscal_ym1/70235/00.pdf
https://ssl4.eir-parts.net/doc/9003/ir_material_for_fiscal_ym1/105333/00.pdf
小田急11月人員 65791(2019)→52919(2021) 80.4%
https://www.odakyu.jp/ir/monthly/o5oaa1000002152c-att/2021.11.pdf
https://www.odakyu.jp/ir/monthly/o5oaa1000001qta1-att/051403.pdf
https://www.meitetsu.co.jp/ir/reference/monthly_report/__icsFiles/afieldfile/2021/11/15/monthly_report_202110.pdf
阪急10月人員 2018比82.5%
阪神10月人員 2018比84%
https://www.hankyu-hanshin.co.jp/docs/a48ba536ed68fabfb0d40f9af8dc85c66a247742.pdf
南海10月人員 20258(2019)→16322(2021) 80.6%
http://www.nankai.co.jp/library/ir/getsuji/pdf/getsuji_2003.pdf
http://www.nankai.co.jp/library/ir/getsuji/pdf/getsuji_2110.pdf
そろそろ京阪混みすぎという批判が多く見られるようになっており、減便は仕方ないにしてもその水準を実態に応じたものにすることが求められそうです。あと京王が心配です。
上記に加えて、時刻表作成の元になるダイヤデータのスジから各駅の時刻表を作成しようとして、機械が各駅の発車時刻を読み取る際に微妙なズレが発生し、それが影響していないでしょうか。例えば、ほかの列車については24分00秒00発と読み取ったので24分発と記載されたが、一本だけは23分59秒99発と読み取ったので23分発と記載されるといったことです。
このこと自体はJR東でもJR西でも起こるでしょうが、その後の取り扱いには、JR東ではそう読み取ったのだから素直にそのままにする一方で、JR西はこういう乱れは読み取り誤差が理由と判断して24分と表示するような違いがないでしょうか。
昔は、交通公社などで時刻表を作成する際には、紙に書かかれたまさにダイヤのスジが国鉄から渡され、これを熟練した担当者がA駅では24分発、B駅では29分発などと読み取って時刻表を作成していたと読んだ覚えがあります。機械化されても基本は変わっていないとすれば、わずかな読み取り誤差は現在も発生していて、その処理方法次第で各駅時刻のパターンの乱れが出ることもあるのかもしれません。
そういえば、ネットの世界ではJR版、駅探などなど様々な時刻表がありますが、時刻表によってやはり一分程度の違いがたまにあるような気がします。似たことが影響しているのかもしれません。
http://www.chizukyu.co.jp/user/filer_public/2e/61/2e61be98-e0b7-4671-bff9-e5cd1f7249f3/2022nian-chun-daiyagai-zheng-puresuzi-liao.pdf
2022nian-chun-daiyagai-zheng-puresuzi-liao.pdf
年 nian
春 chun
改正 gai-zheng
資料 zi-liao
これは中国語ピンインですね。漢字の文献名を現代中国語のローマ字表記に変換するPDF作成ソフトがあるのでしょうか。こんなの初めて見ます。
管理人様へ
>いつもありがとうございます。管理人のUchioです。
>ダイヤ改正そのものではない情報も歓迎ですが、もし関連する記事が見当たらず、どこに書くべきかわから
>ないという場合は、こちらの記事のご利用もご検討いただければと思います。
>https://dia.seesaa.net/article/484745696.html
こちらこそ、色々とお手数をお掛けした様で、大変申し訳ありませんでした。
この記事は利用する話題や機会が難しい為、中々利用する機会がなかったのが正直なところでした。
今後は情報の内容を踏まえた上で、管理人様や他の皆様の迷惑にならないよう、気を付けてまいります。
※直近の新型車両投入の話題辺りはこの記事にコメントさせて頂きます。
今後とも、よろしくお願い致します。
JR東なので殊更、道路工事を隠蓑にした「今後の廃止やBRT化も視野に入れた、社会実験的要素を伴った運休」のように思えてなりません。(朝夕の増便もやりますし。ちなみに乗りものニュースでは当然ながら鉄道と道路両方に仕分けされてます。)
もし15年程前まで廃止(またはその予定と)されてたら、事業工程を考えると道路自体が旧鉄道トンネルの拡幅という手法になっていた未来もあったのかもしれませんね(近年も岩泉線の押角TNの例があります)。
山形新幹線の酒田延伸検討の候補ルートにもなってましたし、一応は鉄道残すつもりでしょうが、万が一BRTとかにされて新設道路経由とかにされたら二重インフラ維持管理になって、財源的に無駄な気がしますね。(税でいえば、BRTが新設道路経由になったところでTNが近接しすぎていてある程度の維持管理費がでる可能性がある。もし一本化できてればこれが圧縮されると共に、JRトンネルに掛けていた維持管理費や"技術、人材"を他の路線に回せるかもしれない。但し、鉄道として残っても上下分離や三セクになったらあまり変わらないかも。)
個人的には鉄道として残って欲しいですが、本当に未来を想定したインフラ整備維持は難しい。
共に国としては国土交通省の所管ではあるけど、未だに旧運輸省(鉄道を含む運輸等、旧鉄建公団もこっちだったはず)と旧建設省(道路建設等。都市計画には鉄道も多少は入りそうだけど。)の対立とかあるのかなぁ?
https://www.niigata-nippo.co.jp/articles/-/36053
新潟県議会の建設公安委員会にて発言があった、という程度ですが、新聞記事にもなったので新潟県(両社の筆頭株主)としてはある程度本気で考えているのかもしれません。しかし、単純なダイヤ面や、両社が直接繋がっていないことを踏まえても、統合させるメリットが中々見出しにくいところです。
北越急行は、北陸新幹線金沢開業まではずっと黒字で貯金があります。それを少しずつ取り崩してできるだけ長く維持するという戦略だったように記憶しています。その辺はどうなるんでしょうね
記事では、「単純に両社の財布を重ねると命を短くするだけという見方もある。鉄道運行などのスペシャリストも入れながら検討したい」という新潟県の交通政策局長のコメントが紹介されています。
北越急行とえちごトキめき鉄道、両社とも沿線人口だけで経営できる箇所とは言いにくいだけに、新潟県としても色々な方法で残るようにするとは思いますが、難しい判断になりそうです。
答えにならなくて申し訳ありません。
・東北新幹線
那須塩原〜盛岡間が運休になっています。
報道等でご承知の通り、脱線が生じていますので復旧には数週間〜1か月以上かかりそうです。
現状、東京〜那須塩原間は「なすの」を毎時概ね1本運転しているようです。
・在来線臨時列車
午前中に、E257系を用いた臨時快速が上野〜黒磯間で運転されました(目撃情報より)。
明日以降の設定の有無は不明です。
また、3月改正で酒田〜秋田間が臨時スジに変更(実質的に運転区間短縮)された「いなほ5・10号」ですが、
酒田〜秋田間を快速扱いで延長運転しています(改正前のスジを流用)。
https://www.jreast.co.jp/press/2021/niigata/20220317_ni01.pdf
・今後について
東北新幹線の被害が激しいため、昨年2月の地震の時と同様、まずは在来線の復旧を目指すものと思われます。
常磐線が復旧すれば、昨年同様「ひたち」2往復を快速扱いで、いわき〜仙台間延長運転することが考えられます。
また昨年はE653系を用いた臨時快速が東北本線(那須塩原〜仙台間)で走りましたが、同様の措置が取られるのか、注目されます。
また、東北新幹線をはじめ鉄道各線にも大きな影響が出ております(詳しい運行状況等は省略します)。一日も早い復旧をお祈り申し上げます。
さて、このところ地方鉄道(ローカル線)に関する話題が相次いでおりますが、私から一つ参考資料をこちらに紹介させていただきます。
国土交通省が「鉄道事業者と地域の協働による地域モビリティの刷新に関する検討会」を設置(第2回まで開催。下記(国土交通省ホームページより)=会議資料)
https://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_tk5_000011.html
https://news.mynavi.jp/article/20220321-tokitetsuhokuetsu/
外の人間としては意外に思いますが、地元の方では、予想以上に冷静な目線で見ていると言えそうです。
JR西日本が輸送密度2000人/日未満の線区の線区別収支率等を下記にて情報開示
https://www.westjr.co.jp/press/article/2022/04/page_19817.html
https://www.westjr.co.jp/press/article/items/220411_02_local.pdf
https://www.westjr.co.jp/press/article/items/220411_02_sankou.pdf
斉藤鉄夫国土交通大臣(衆院広島3区)のコメントが発表されたのでお知らせ致します。
https://www.chugoku-np.co.jp/articles/-/154943
私が思いつくのは、「電化区間が戦後になって米原方面や姫路方面に拡大された際、『京都・神戸間を走っていた急行電車』と『米原や姫路方面からの中距離普通列車』をくっつけて快速としたことが影響して、快速運転区間では急行改め快速と呼び、それ以外の区間では普通と呼ぶことが続いている。一方、他の快速には性格の違う2つの列車をくっつけたような経緯がなく、初めから1つの列車として生まれたので呼称も一つ」というくらいです。
ご存知の方がいらっしゃれば教えてください。
https://www.jreast.co.jp/press/2022/20220413_ho03.pdf
https://www.keio.co.jp/news/update/news_release/news_release2022/20220413_shinjyuku_2.pdf
京王電鉄が先行して取得していた甲州街道南側用地も含め新宿駅西口開発計画と連携した開発を行う
計画の主たる目的の一つに駅を横断する広大な歩行者通路を構築するというものがあり、その一環で京王線新宿駅ホームを北側に延伸する
(計画図の内容では京王線のホーム配置に変更はない模様)
計画全体の完了は2040年代を目標としている
https://www.kobe-np.co.jp/news/sougou/202204/0015217544.shtml
JR東日本の常磐線が、現状これに近い案内の形態をしています。所謂「中電」が取手を境界に都心側は快速、反対側は上下方向共に普通の案内です。そして特別快速については全区間で特別快速表示のままとなっています。
私が1番謎に思ってるのが大和路快速。大阪環状線から和歌山線に直通する列車が何本かありますが、これが王寺を境界に種別を「快速」に変えるのです。王寺から先の和歌山線内は各駅停車なので、種別を普通に変えるか大和路快速のまま終点まで行くのならわかるんですが、何故か快速になるのです。
そして同じく環状線から和歌山線に直通する区間快速もあるのですがこちらは王寺から先も種別を変えずに、終点まで区間快速表示のまま。大和路快速と異なるやり方をしています。
この違いは色々考えたものの答えが見つからず、ずっと不思議に思っています。
自分も明確に解があるわけではないのですが、大和路快速の件のついて。
もともと和歌山線直通の区間快速・快速は設定があったのですが大和路快速はなかったはずなので、和歌山線内の案内にわざわざ大和路快速を追加するのを避けた印象ですね。
もしくは、あくまでも大和路快速は環状線〜大和路線系統の列車名(ブランド名)で、そこからはみ出す系統は快速になる、と整理しているのかもしれません。
ちなみに、「快速」に幕を変えるのは正しい扱いのようです。
JRの時刻表から列車時刻を見ると快速で案内されていますし。
では、なぜ「快速」なのですがそれは大和路快速が
片方向しか運転されないからだと思います。
私の記憶では高田方面からは快速と区間快速しか
運転されたことがありません。
なので案内上は快速に変えているのではないでしょうか。
現状は高田方面からの区間快速もなくなりましたが各停区間で
区間快速→快速の格上げも変ですし区間快速のままなんでしょう。
私は端的に言えば「性格が異なる2つの列車を一本化したため」と考えたわけですが、この2つの性格は、ひで99さんが書かれた各駅停車区間の重要であり、京阪神間では速達需要に応え私鉄に対抗することです。
歴史的経緯も便宜(需要あるいは利用状況)と、その関わり異なっても密接な関係がある(離れられない)と思っています。そしてこの場合は対立的ではなく、むしろ表裏の関係かと思います。
Bangkokさんの考えが読み取り切れてないような気もするんですが(すみません)、私は時代や要望に合わせてやり方は変わっていくものだと考えています。
先に私があげた常磐線の他、都営新宿線や山陽電鉄など、2000年台以降に種別の案内の仕方を変えている路線や鉄道会社の数は少なくないです。JR京都線〜琵琶湖線も、単純に今のやり方が現状に合っているからこそと考えました。
私が知りたいのは、普通と快速を併用することを60年以上前に選択した際の理由というか考え方です。言いかえれば、当時(所和30年代前半?)、全区間を通して普通あるいは快速とする選択もあったであろう中で併用を選んだ理由です。
私はこれを「性格が異なる2つの列車を一本化したため」ではないかと思い、またこれを歴史的経緯と呼ぶなら、便宜(需要あるいは利用状況)と密接というか表裏の関係があったと思っています。つまり当時も普通には各駅停車区間内利用も相当あり、急行改め快速電車には京阪神間で私鉄に対抗する速達需要があり、これらが二つの性格を形成していたと考えるからです。
一方、このやり方が今日まで継続していることについては、問題はあっても引き続き利用状況にかなりあっていて、かつあえて変更するほどの代案もなかった(私にもありません)からだろうと思っています。
時代や要望にあわせてやり方は変わっていくことについては私も同様に考えますが、この普通・快速の併用については、上記の事情で60年以上変わっていないのでしょう。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20220418/k10013587441000.html?utm_int=nsearch_contents_search-items_001
当時は普通列車でも通過駅が有るものが多数ありましたし,それこそ急行列車なみに止まらない普通列車もありましたから
ある列車を示して何を条件に「快速」と呼ぶことにした基準自体がはっきりしないように思いました。
<例1>客車列車2441/2442(姫路〜草津〜亀山〜鳥羽)は,普通なのか快速なのか。快速だとしても電車の快速よりも停車駅がかなり少ない。
<例2>宇野線では各駅にとまるものと,半数くらいの駅しか止まらないものがあった。
<例3>鹿児島本線では折尾〜博多で通過駅が有る,もしくはノンストップ普通列車があった。
<例4>両毛線に新前橋〜前橋〜伊勢崎〜桐生〜足利〜佐野〜栃木〜小山だけ停車するものがあった。
<例5>中央本線や常磐線の格付けは,各停<快速<[中央線のみ]特別快速<普通列車<急行列車<特別急行
<例6>関西本線では,非電化の頃から「快速」が湊町-奈良間に設定されていましたが,
湊町-奈良間が快速と同じ停車駅で,さらに亀山や名古屋まで行く列車はどう呼んでいたのか。
また「各停」といえども久宝寺はほとんどの列車が通過していた(一部は更に志紀と加美も通過)当時はどういう案内だったか。
そういうことでしたか。失礼しました。
そもそも気になったのですが、
>当時〜全区間を通して普通あるいは快速とする選択もあったであろう中で併用を選んだ
この当時から普通と快速での種別変更を行っていたんでしょうか?
現在の快速は各停区間に入ると種別案内が普通に変わりますが、時刻表上では全区間で快速の設定です。旅客案内を時刻表上と違う形で案内するやり方をとっています。
自分でも調べているのですが、
・80年台、大阪駅での自動放送は快速と案内していた
・115系、113系の方向幕では種別表示自体が無かった(中央線の201系のように行先のみ)。
・快速の設定当時、名称変更前の急行電車時代から続いて全区間で種別を変えてなかっただろう説を目にした
という情報は掴んでいます。ただ確信できる情報までは掴めてないので、もう少し調べてみようと思っています。
※大和路快速についての返信くださり有難うございます。こちらについても書きたいことがあるのですが、両方いっぺんに処理できる頭が無いので、こちらについてはもう少し経ってから書きたいと思います。
>この当時から普通と快速での種別変更を行っていたんでしょうか?
ポイントを突いておられますね。私の考えは「この当時から普通と快速での種別変更を行っていた」ことが前提になっています。もし、当時は違っていて後年変えていたのなら、一転して「時代や要望にあわせてやり方は変わっている」の例になります。
MENTHEさん
当時の快速のことを網羅的に知っているわけではありませんが、京阪神間の急行電車が快速電車に改められた昭和30年代前半、阪和線では特急電車が快速に改められています。
どうもそのころ、急行料金が必要な急行と、買収後も私鉄時代の呼称を続けているとか私鉄への対抗上名付けていた特急電車や急行電車が紛らわしいため、後者を快速と改めたようです。
示していただいた例をみると、多分それぞれ事情があってでしょうが、今も昔も例外があるというか不統一なところは変っていませんね。でも、趣味的には楽しいです。
近鉄は列車種別、方面で分けて時が左から右へ、分が上から下へ進む独特の様式だったが大阪阿部野橋駅では他社でよく見られる始発を最上、終電を最下に置く様式の物へ変更された。
https://207hd.com/post-23217/
https://timetablerailway.blog.jp/archives/32570841.html
であれば、当時は普通あるいは快速のどちらかを表示したまま、例えば米原・姫路間を走り通していたのだろうとまず思いました。これは、当時は途中で種別変更をしていなかった傍証になるので、少しがっかりしました。
そんな中、まあwikiでもと京阪神快速の記事を読むと、その注6に「113系で運転されていた時代までは全区間で種別表示をせず、快速運転区間も行先のみを表示していた」旨の記述がありました。
こうなると話は変わります。車体側面の種別表示を変えられない条件下で、種別表示はせず行先のみ表示していたのなら、普通として走っていても快速として走っていても問題が生じないためだったと考えられます。つまり途中で種別変更していた傍証になります。
タイムマシンに乗って昭和30年代に戻れるならともかく、今になっては確かなことはわかりにくいでしょうが、私は当時から途中で種別変更していたような気がします。
上記の場合は、普通-快速-普通と2転しても2種別です。けれども、伊勢崎線・半蔵門線・田園都市線直通列車には、準急-普通(各停?)-急行と2転3種別があり、副都心線直通にも浅草線直通にもありそうです。LED式でさっと表示を変えられたり、車内ディスプレイでいろいろ説明できるのは大進歩ですが、詳しすぎると面倒で読まなかったり、読んでも理解できないということになるでしょう。難しいところですね。
昨年実証運転を行った長良川鉄道は今年3月の改正で正式に増発しました。本件はどうでしょうか。
三陸鉄道がリアス線臨時列車実証運転(5/9〜7/22の平日)に関し下記にて発表
https://www.sanrikutetsudou.com/?p=18243
https://www.city.kobe.lg.jp/a80062/kurashi/access/kotsukyoku/subway/station/sindaiya/daiyakaisei.html
JR四国が2019年度,2020年度の管内全線区の線区別収支と営業係数を下記にて公表
https://www.jr-shikoku.co.jp/03_news/press/2022%2005%2017.pdf
このうちの熱海と、徳山の通過線のカント量を最大限にするのは当然だと思います。他方、全営業列車が停車する新神戸と、徳山の停車線のカント量は停車時やそのための減速や加速に見合ったものであればよいと思いますが、実際はどうなっているのでしょう。
徳山の状況は乗降したことがないのでわかりませんが、新神戸では通過列車があった時の大きなカント量のままになっていて、乗降や車内移動がしにくくなっている気がします。
再び新神戸を通過するダイヤ改正を想定しているなら仕方ないですが、そうでないなら停車を想定したカント量に変更したらどうかと思います。ずっとあの状態を続けるつもりなのでしょうか?いつか直すのなら早い方がいいと思います。それとも修正済みなのでしょうか。
ロシアは国土が広く貨物と軍事の輸送に鉄道は大きな役割を果たしています。高速旅客線は西欧や日本、中国と比べて未発達です。長距離寝台列車の役割は大きいようで国内都市間はもとより東欧、中国との間にも定期列車があります。ただ飛行機が発達した現在どれほど利用されているかは不明です。さらに最近はコロナの流行とウクライナとの戦争で海外渡航は難しくなっているに違いない中、国際列車の実際の運行状況はわかりません。
ロシア軍は鉄道輸送に大きく依存していて兵員輸送車とトラックによる道路輸送は日本で時折聞く「二次交通手段」のバス・タクシーのような付属的な位置付けとされます。鉄道に比べて道路は貧弱で重い車両の通行に向かないという事情もあるようです。ロシアでは鉄道は軍の利用が常に優先で一般旅客は後回しで利用者に正確な運行状況を伝えるサービスに力を入れていないと感じます。
病院に到着したのが狙撃が起きた11:31から50分後ということで搬送に時間がかかったことを問題視している人もいます。近鉄の時刻表で調べたら大和西大寺発11:41の橿原神宮前行特急があり、大和八木に11:59に到着します。そこから奈良県立医大病院は徒歩15分、タクシーで5分とされます。近鉄を利用すると救急ペリコプターより5~15分早く目的の病院に到着するのです。これは鉄道が速いのか、救急車やヘリコプターがさほど速くないのか、それ以外の要因があるのか判断できません。
近鉄京都線橿原線は平安京、平城京、藤原京を結ぶ路線で沿線に有名な寺院神社があり観光客によく利用されています。近鉄沿線には名刹旧跡が多く、観光客は定期外客で有料特急を好んで利用してくれます。大事な客層なので近鉄は特急を頻繁に運転して需要に応えています。高頻度運転のおかげで待ち時間は少くなります。
大和西大寺は時刻表に関心のある人のよく知る駅です。このサイトの愛好者の多くは実際に訪れてホームで列車の往来を観察されたことでしょう。一方でここで下車されたことのある方は少ないと思います。寺としての西大寺は大仏のある東大寺に比べて知名度は低いものの、その参拝目的でこの駅で下車する人もいるはずです。大和西大寺駅周辺には門前町のような街区があるのでしょうか。皆様も将来訪れる機会がありましたらこうした点にも関心を持たれて観察されたら良いでしょう。
>これは鉄道が速いのか、救急車やヘリコプターがさほど速くないのか、それ以外の要因があるのか判断できません。
確かに今回は銃撃事件発生から病院搬送まで50分近くかかってます。しかし決してドクターへリ自体が遅いわけではありません。
この読売新聞の記事を引用しますが
https://www.yomiuri.co.jp/national/20220714-OYT1T50214/
>ヘリは52分、現場の南東約700メートルにある平城宮跡に着陸し、午後0時13分に救急車で搬送されてきた安倍氏を乗せて離陸。安倍氏は午後0時18分に奈良県橿原市の県立医科大付属病院に到着した。
さすがにヘリの搬送自体は約20qをわずか5分で移動しています。
時間がかかったのは駅前である現場には直接ヘリが着陸できないのでヘリ着陸地点である平城宮跡まで一旦移動しなければならなかったのと、重篤な状態だったため搬送するまでの緊急処置に時間がかかったためと思われます。
さすがに緊急事態下の搬送の定期列車利用はあまりにも非現実的でしょう。
応急措置もありますけど、ホームまでの返送も含めて、最大の問題はセキュリティでしょうね。
少し考えても、ヘリよりはセキュリティ面でのリスクはかなり劣ってしまいますので。
※用意周到でないかぎりは、鉄道はセキュリティでは劣ってしまう面は否めません。東京〜関西の移動で、要人の飛行機利用の割合は多いような気もします。今回の安倍さんも西大寺入りは伊丹から車でしたし。
赤字ローカル線協議「輸送密度1000人未満」が目安 国交省検討会の想定判明
『鉄道のローカル線の在り方について協議している国土交通省の有識者検討会が、運行見直しの協議に入る目安の一つとして「1キロ当たりの1日平均乗客数(輸送密度)千人未満」を想定していることが16日、関係者への取材で分かった。近く予定する国交省への提言に盛り込む方向で調整している。
ローカル線の運行を見直す協議は、廃線を警戒する沿線自治体が積極的に応じないケースが多いことから新たな制度を検討。国が中心となって、自治体と鉄道事業者が話し合う「特定線区再構築協議会」(仮称)の設置を提言に盛り込む方向だ。協議会は、事業者か自治体からの要請に基づき、国が双方の意見調整などをした上で設置する。』
国が「1日1000人」という基準を出すことにより、鉄道以外への転換、上下分離や3セクへの移行などが進むかもしれません。
1日1000人未満というと、
小浜線全線
芸備線下深川〜三好
肥薩線吉松〜隼人
といったあたりが該当します。
関西特派員様のご投稿とも一部関連します。
・JR東日本に関する河北新報社の記事(下記)
https://kahoku.news/articles/20220720khn000035.html
後日国土交通省ホームページにも掲載されるかと思いますが、速報として報道を紹介させていただきます。
国土交通省の有識者会議で取りまとめられたローカル線についての提言案に関し各社が報道(下記(1)=日経電子版の記事,下記(2)=産経新聞の記事)
(1)https://www.nikkei.com/article/DGXZQOUA241DE0U2A720C2000000/
(2)https://www.sankei.com/article/20220725-RNEG5ABUBZLTNNHWL426HGP3CQ/
https://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_tk5_000011.html
https://www.mlit.go.jp/tetudo/content/001492228.pdf
https://www.mlit.go.jp/tetudo/content/001492230.pdf
・JR東日本が平均通過人員2000人/日未満(2019年度実績)の線区の収支データ(19,20年度)を下記にて開示
https://www.jreast.co.jp/press/2022/20220728_ho01.pdf
https://www.tokyu.co.jp/information/list/Pid=post_644.html
2023年度以降、4,5号車に導入する予定とのことです
変に細工するとクレームはいるだけですし。
羽越本線を切り離すとJR東日本の車両輸送も非常に面倒になりますし。
青森・郡山間の輸送もわざわざ羽越本線経由にしているぐらいなのに、羽越本線・奥羽本線の該当区間を切り離すと、秋田・青森の狭軌路線は完全に孤立しちゃいます。
>変に細工するとクレームはいるだけですし。
本当にそれだけであれば良いんでしょうけど、並行在来線みたいに「線路は残すけど旅客は第三セクターに転換」の可能性もあるかもしれない、と思ってコメントしたまでです。
※記事になっていない事柄なので、これ以上はコメントしません。
西日本でも山陰本線や紀勢線、九州でも日豊本線で2000人未満で収支公表されている区間があるので、誰かさんと同じく、単に輸送密度2000人未満で切っただけだと思います。
【参照元:https://www.decn.co.jp/?p=144870(日刊工業新聞)】
現橋梁より15メートル上流側で架設とのことですが下を走る東武伊勢崎線との交差部分の処理がどうなるのか興味が湧く所ではあります
京成荒川橋梁架け替えの件ですが、
東武との交差地点は国土交通省の資料を見る限り、現在の交差地点に近接する形になるようです。
恐らくはコンクリートの架道橋を新設するのではないでしょうか。
https://www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000813666.pdf
さて、今回は貨物列車の話題ということで、このサイトとはあまり関係ないかもしれませんが、例えば「新幹線による貨物輸送」などは旅客列車のダイヤにも多少関係があるかもしれませんので一応紹介させていただきます。
・国土交通省の第5回「今後の鉄道物流のあり方に関する検討会」において中間とりまとめが示される(下記=いずれも国土交通省ホームページより)
https://www.mlit.go.jp/tetudo/tetudo_tk5_000016.html
https://www.mlit.go.jp/tetudo/content/001493250.pdf
https://www.mlit.go.jp/tetudo/content/001493161.pdf
4月のダイヤ改正で特急の設定がなくなった富山地鉄で、停車駅の少ない臨時列車が運行されております。
・富山地方鉄道が臨時列車の運行に関し下記(1),(2)にて発表(下記(3)は立山黒部アルペンルートの発表)
(1)https://www.chitetsu.co.jp/?p=62023
(2)https://www.chitetsu.co.jp/?p=62143
(3)https://www.alpen-route.com/_wp/information/68201
※上記(1),(2),(3)によると、詳細は次の通り。
・7/20〜10/31運行…電鉄富山9:46発立山行(休日は9:48発。停車駅は寺田,五百石)と立山11:08発電鉄富山行(休日は11:06発。各駅に停車)
・7/30〜10/30の土日祝日(休日)運行…宇奈月温泉9:05発立山行(停車駅は新黒部,電鉄黒部,新魚津,電鉄魚津,中滑川,上市,寺田)
・いずれの列車も特急券不要
https://www.railway-museum.jp/press/pdf/20220706_1.pdf
7月23日ー1月30日
1945年8月15日の東北本線一ノ関尻内(現八戸)間の列車運行図表(ダイヤグラム)遅延による時刻変更と見られる加筆されている。 CTCとコンピュータが導入される前の運行管理の実務が窺える展示品です。
ダイヤグラムには手書きの文字が見えます。ガリ版などの簡易的な印刷で作成していたのでしょうか。
参照元:http://www.izuhakone.co.jp/group_news_20221003_01.pdf
なお、十国峠ケーブルカーは既に富士急に譲渡済み
参照先:http://www.izuhakone.co.jp/cablecar_kaiji_20211001.pdf
参照元(上毛新聞):https://www.jomo-news.co.jp/articles/-/187657
現在東武グループとの資本関係は《東武鉄道〜東武興業〜谷川岳ロープウェイ》となっており、この谷川岳ロープウェイという会社が谷川岳ロープウェイ(路線)と天神平スキー場、榛名山ロープウェイを運営しております
星野リゾートは3業態諸共買収する模様です
先日の「箱根芦ノ湖遊覧船」と同じく大手私鉄による自社沿線から離れている観光地交通機関の売却がまだ続くかもしれません
9月末に解放されたドネツク州北部リマンの航空写真を見たら興味深い施設がありました。駅の両端にループ状の線路があります。列車を方向転換するのに使うのでしょう。
https://www.openstreetmap.org/#map=14/48.9738/37.8117
日本ではこの種の施設は例がほとんど無いと思います。導入するなら小田急藤沢、JR北海道札幌、JR九州小倉、早岐のように方向転換する列車が多い駅でしょうが用地確保が困難で実現しないでしょう。
また日本では両端に運転台のある電車気動車が主流であるのも一因です。しかし電車気動車は折り返しが比較的容易であっても小田急藤沢やJR札幌では直通列車は減り、系統が分断される傾向があります。
OpenStreetMapから派生した鉄道地図OpenRailwayMap
https://www.openrailwaymap.org/index.php
世界各国の鉄道につき、電化方式、軌間、最高速度などのデータがあります。
・JR東日本(東北本部)が只見線会津川口〜只見間一部列車延長運転(11/3〜11/13の土休日)等に関し下記(1)にて発表
(1)https://www.jreast.co.jp/press/2022/sendai/20221102_s01.pdf
※参考:下記(2)=只見線の現状を報じた「FNNプライムオンライン」(福島テレビ制作)の報道
(2)https://www.fnn.jp/articles/-/438874
只見線で先程の延長運転列車に接続する臨時列車も11/12,11/13に限り運転するようです。
・JR東日本(新潟支社)が只見線小出〜只見間の臨時列車(11/12,11/13)に関し下記(3)にて発表
(3)https://www.jreast.co.jp/press/2022/niigata/20221102_ni01.pdf
・JR東日本(東北本部,新潟支社)が只見線延長運転,臨時列車の運転日追加(11/19〜12/4の土休日)に関し下記(1)にて発表
(1)https://www.jreast.co.jp/press/2022/sendai/20221115_s02.pdf
・JR東日本(東北本部)が仙山線奥新川,面白山高原の一部列車冬期通過(12/10〜3/17)に関し下記(2)にて発表
(2)https://www.jreast.co.jp/press/2022/sendai/20221115_s01.pdf
※私見:まず本件に関して、実施期間が昨年度よりも長くなり、かつ対象列車も増えております。
そして注目したいのは終了日が「2023年3月17日」とされた点です。
皆様ご存知の通り毎年3月半ばにJRグループ各社等の一斉ダイヤ改正が実施されますが、もしかすると来年の実施日は上記終了日翌日の3/18なのかもしれません(あくまでも私の予想ですので、違うかもしれません)。
(令和4年)
11月24日(木)相鉄・東急直通線概要発表済
11月26日(土)京急・都営浅草・京成・北総・成田スカイアクセス各線ダイヤ変更(一部ワンマン化)
12月16日(金)令和5年3月ダイヤ変更詳細概要発表(14時以降順次)(予想です)(首都圏では11月26日(土)にダイヤ変更する路線を除きほとんどすべての路線でダイヤ変更が行われると考えられます(ごく一部を除く))
(令和5年)
1月25日(水)JR新幹線各線等指定席連結列車の変更後時刻発表(その後2月中旬にかけ私鉄各線の指定席連結列車の変更後時刻発表)(予想です)
2月25日(土)JR時刻表3月号で快速・普通列車の時刻発表(予想です)
3月1日(水)東横線ワンマン(乗客ありの)習熟運転開始(車掌は乗務するけど放送やドア開閉は運転士が行う)(予想です)
3月10日(金)17時頃までに各線ダイヤ変更後の時刻がホームページやコールセンター等で発表(予想です)
3月17日(金)東京時刻表2023年号等で各線ダイヤ変更後時刻確定(予想です)
3月18日(土)令和5年3月各線ダイヤ変更実施、相鉄・東急直通運転開始、東横線ワンマン運転、おおさか東線新大阪〜大阪間開業、上越新幹線E7系統一、青梅線(青梅〜奥多摩間)、五日市線、常磐線(水戸〜いわき間の5両編成)等のワンマン運転も同時に開始(予想です)
上記の記述事項は私の予想ですので違う場合があります。どうかご了承ください。
従って、令和5年3月のダイヤ改正(JR線他)の発表は前述の通り令和4年12月16日(金)の14時以降順次発表の可能性が高いと想定されます。(この時に相鉄・東急直通線の開業日も同時に発表されると思われます。(=相鉄線はJR埼京線と相互乗り入れしているため))
以上です。
話自体は出ているのですが、紐付けする記事が見つかりませんでしたので、こちらに投稿します。
2022年12月28日18:38、NHK大阪「ほっとかんさい」が阪急電鉄について以下のように伝えました。
「阪急電鉄は、新大阪ー十三の新大阪連絡線、および十三ー大阪(うめきた新ホーム)のうめきた連絡線について、2031年に開業すると発表。」
NHKのWebでは14時38分に発表されています。
https://www3.nhk.or.jp/kansai-news/20221228/2000069543.html
ー以上ですー
https://dia.seesaa.net/article/201703_naniwasuji_line_plan_to_be_agreed.html
本年もよろしくお願い申し上げます。
本年の鉄道業界は、新線の開業予定がある一方で、地方線区では厳しい状況が続きそうです。
長引くコロナ禍と人口減少がダイヤ面に影響を与えるのは必至の情勢ですが、
それでも鉄道を愛する者として、各路線とも多くの方に利用されることを願ってやみません。
まずは来る3月のダイヤ改正で、具体的にどのようなダイヤになるのか、
また利用者の評価にどのような変化が見られるか、見ていきたいと思います。
1.基本的な考え
(1)今日の状況
特段の利用喚起をしなくてもお客が来てくれる時代は東京圏でも終わった。選ばれる沿線にするためのできうる改善を怠れば会社も沿線も衰退していく。
増える高齢利用者と子育て世代への配慮が、これからますます重要になる。
(2)乗り換えの利便性
利用者目線で利便性が高いのは以下の順
@同時対面乗り換え
A階段の昇り降りが不要な同ホーム乗り換え
B階段の昇り降りが必要な別ホーム乗り換え
>大宮での湘南新宿と上野東京の接続が悪くても、赤羽で乗り換えるので、大宮駅ナカでの購買には繋がらないということですね。
大宮での乗り換えが上記Bで不便なので赤羽で乗り換える人が多いのだろうということです。
>そもそも、本当にJR東日本が「エキナカ商売」のためにわざと乗換を不便にしたいと考えているのであれば、品川駅で京浜東北線北行と山手線外回りをわざわざ同一ホーム乗換可能にはしなかったと思います。
鋭い視点だと思います。品川駅で同一ホーム乗換可能にしたのは、JR東の考え方が変化していることのあらわれで、品川に続いて大宮でも取り組む前兆ではないかと期待しています。
>新宿方面と宇都宮/高崎方面の乗換は大宮だけでなく赤羽や浦和でも可能ですので、整備の優先順位が高くないという可能性もあります。
JR東がそのように評価しているとすれば残念です。大宮はもちろん赤羽でも浦和でも、現在は一番利便性の低いBにとどまっています。
>同一ホーム乗換を実現した場合ホーム上に滞留する乗客の混雑,錯綜が懸念材料です。品川は同一ホーム乗換可能とするにあたりホームを拡幅しました。大宮は貨物列車待避用の線路などがあり、ホーム拡幅は難しい印象です。
繰り返しになりますが、朝のように運転本数が多い時間帯は対面乗り換えでなくてもいいと思っています。また、今は乗り換えで階段やエスカレーターが混雑しています。
>例えば、上尾駅とか、蓮田駅では、到着した上り電車には乗らずに、ホームで次の電車を待っている方は、かなりいます。(私としたことが・・・、と後で思ったのですが)、自分の行きたい方面への電車が次に来るを待っている、ということです。
同じことを考えていらっしゃる気がしますが、Aの階段の昇り降りが不要な同ホーム乗り換えでも2本/時の湘南新宿ライン待ちが4本/時に短縮し、@ならほぼなくなります。
>一度、(発着番線を変更して)交互対面接続のダイヤを組んでしまったら、事実上、交互対面接続維持が、首都圏全体のダイヤ構成の一大制約条件となってしまうからです。
@同時対面乗り換えが一番ですが、A階段の昇り降りが不要な同ホーム乗り換えでも利便性は高くなります。制約となることを避けるという考えはあるでしょうが、東京圏では東急の大岡山・田園調布、小田急の代々木上原、京王の笹塚などで、JRでもJR西ではとうに実施しています。
戸塚でAを実現→ エキナカには向かないことを認識してAに消極的になる→ 乗り換えの利便性向上も大切と考えを変える→ 品川で京浜東北と山の手の対面乗り換え実現 (→大宮での実現))
が、経緯の推測と今後への期待です。
いろいろ検討していて思ったのですが、大宮の現状の配線で上野東京ラインと湘南新宿ラインの別系統同一ホーム乗換を実現させるには、どこかしらで平面交差が生じますね。
北行(下り)の湘南新宿ライン宇都宮線直通と上野東京ライン高崎線直通を接続させる場合は湘南新宿ラインと10番線(ホームのない線路)を通過する列車(貨物や回送等)が、それ以外の全ての組み合わせ(北行/南行とも)では湘南新宿/上野東京の列車同士で、それぞれ平面交差になります。
既に湘南新宿は蛇窪で,上野東京は上野でそれぞれ平面交差を有している状況、両線は大宮で分岐した後大船で再合流するので大宮側のみケアしていればいいわけでもない(東海道線のダイヤの調整が必要)、かつ両線とも広域の直通ゆえ各所から遅延を持ち込みやすい(特に湘南新宿は昼間でも遅れていることが少なくありません)ので、これ以上遅延を生みかねないダイヤの制約は増やしたくないと思います。
また、大宮は単なる在来線同士の乗換駅ではなく新幹線全列車停車駅かつ埼玉県有数の繁華街を抱える利用者数埼玉県最多の駅です。朝に限らずほぼ終日にわたり多くの方が、新幹線乗換や大宮自体を目的地/起点として利用することで階段等の混雑が発生していると思います。
現状は新宿/上野,宇都宮/高崎相互間を大宮で乗り換えずに赤羽/浦和で乗り換えたり各駅で後続の直通列車を待っている人がいても今の混雑なわけですから、これらが大宮のホーム乗換に移ってしまえばホーム上の更なる混雑は必至です。昼間なら問題ないということはないと思います。
同時対面でなくてもということならその分ホーム上での待ち時間が増えるわけですからホーム上の利用者の滞留がなおさら懸念事項です(この点、駅ナカはホーム上での待ち客を少しでもコンコースに誘導しホーム上の混雑の緩和に寄与している側面もあると思います)。
階段等の混雑に関しては、階段等の増設の方が多くの利用者に資する改善施策だと思います。
現在さいたま市を中心に検討が進められている「大宮駅グランドセントラルステーション化構想(大宮GCS化構想)」(下記(さいたま市WEBサイトより)参照)に盛り込まれた新しい東西通路(およびそれに接続するJRコンコース)が設置されれば混雑が緩和に向かうかもしれません。
※念のため申し上げますが、この構想で言う「乗換改善」とは宇都宮/高崎線相互間のことではなく、JRと東武,鉄道とバスの乗り換えを指します。
https://www.city.saitama.jp/001/010/015/004/007/index.html
「選ばれる沿線」という言葉が繰り返されておりますが、同一ホーム乗換できることが「選ばれる」ことの唯一の理由ではないと思います。定時運行も重要ですし、それこそ駅ナカの充実もニーズの一つかもしれません。幅広いニーズに応えていくことが鉄道事業者に求められていると思います。
既に長いですが、後程別件に関し投稿します。
ついでなのでここに書きます。札幌〜白石間を「『学園都市線と函館本線旭川方』と『函館本線小樽方と千歳線』の組み合わせの線路別複々線にしていれば、直通運転を基本にすることで使用ホームを減らし新幹線ホームも(在来線と)並列にできた」という話が見られますが、これも正直申しましてよく分かりません。
そもそも北海道新幹線札幌駅ホームの当初の予定地は現在JRタワーが建っている場所だったはずです。よって、在来線の複々線が云々というのは関係ないと思います((JRタワー建設当時)いつ建設されるのか不透明な北海道新幹線のために不動産価値の高い駅前一等地を寝かせておくのはもったいないという当時のJR北海道の経営判断も理解できます)。
この時点で話は終わりですが、複々線云々に関しても思うところがあるので述べます。
・苗穂前後が複々線化された当時、札沼線(まだ学園都市線という愛称すらついていない)は沿線開発途上で単線非電化。よって江別方面からの電車は全て札幌折返しになる,気動車で運行しても全てを札沼線に流すことはできず、札幌折返しを多数設定せざるを得ない(手稲方面に流すのであれば札沼線と線路を一体化する意味がない)→線路別複々線は採用されなかったであろう
・特急(当時存在した寝台特急含む)はごく一部の臨時を除き札幌発着/折返しである(千歳線〜旭川方面の直通含む)
・雪による輸送障害や遠方から持ち込む遅延による到着遅れ,札幌での乗降時間の長さを考慮すると札幌のホームはある程度余裕を持たせたいものと思われる
以上の理由から、結局のところ在来線ホーム数は減らせなかったと思います。
北海道新幹線札幌駅は結果的にいわゆる「大東案」となりましたが、新幹線のホームを乗降別に分けられホーム幅も広げられる,再開発エリア直結の新在の改札口を設けられるといったメリットもありますので、一概に悪い案だとは言えないと思います。
複々線化当時存在したのは寝台特急ではなく夜行の急行ですね。大変失礼いたしました。
JRが積極的であれば、一番やりやすかったのは浦和高架化のときの浦和駅だったと思います。
上野東京下りと湘南新宿上りを入れ替える高架橋建設をし、浦和駅ホームを拡幅することは可能だったはずです。
赤羽よりも難易度は低かったでしょうし、時代的にも利用実態は既に現状だったはずです。
品川の対面乗換も積極的に設定したというよりも単純にホーム数や敷地上の配置の問題でしかない可能性もあるかなと思います。高輪ゲートウェイは対面にしなかったわけですし。
戸塚は元々の横須賀線の導線をケアしているわけですが、他はどうなのでしょう。建設費がかかる場合は投資する気はなく、対面できない駅はエキナカでの利益も取りに行くという戦術かもしれません。
>大宮の現状の配線で上野東京ラインと湘南新宿ラインの別系統同一ホーム乗換を実現させるには、どこかしらで平面交差が生じますね
おっしゃるように、現状の配線ではできません。これまで書きましたとおり、ポイントは、一番時間とお金がかかる立体交差は完成していて先人の残した遺産を活用できることです。
立体交差以外の必要なポイントの新設や移設、ホームの一部改修などについては、2014年12月19日に設けられた、「[JR東日本]上野東京ライン、全時刻発表〜」のスレで、2015年5月から年末にかけ、何人もの方で議論しています(その後も他のスレで議論した気がしますが思い出せません)。
>遅延を生みかねないダイヤの制約は増やしたくないと思います。
自社ならどこまでならできるのかを検討してほしいと思っています。@同時対面乗り換えが無理なら、A階段の昇り降りが不要な同ホーム乗り換えも大きな進歩です。言い換えれば、戸塚で40年前に実現したことを大宮でもやってほしいということです。
>朝に限らずほぼ終日にわたり多くの方が、新幹線乗換や大宮自体を目的地/起点として利用することで階段等の混雑が発生していると思います。
それに乗り換え客が加わっています。
>これらが大宮のホーム乗換に移ってしまえばホーム上の更なる混雑は必至です。昼間なら問題ないということはないと思います
階段・エスカレーターが混乱しているのが現状です。今後ホームドアが設置されるでしょうから、どちらが問題化といえば階段・エスカレーターの方だと思います。
また長期的にみると、利用者数はがんばって横ばいで、漸減から減少に向かうでしょう。そして昇り降りが苦になる高齢者や、子育て中のベビーカー利用者にとって、エスカレーターは階段よりも危険です。そして300m以上あるホームにエレベーターは一か所です。
>同一ホーム乗換できることが「選ばれる」ことの唯一の理由ではないと思います。定時運行も重要ですし、それこそ駅ナカの充実もニーズの一つかもしれません
唯一ではなく、重要なことの一つと考えています。エキナカを通過しないと乗り換えができないことが問題だと思っています。
エキナカに用事のある人が階段を昇ればよく、用事がなくても昇らないと乗り換えもできないのは問題ということで、「エキナカ商売はほどほどにして」と書きました。こういう人にも配慮することも、お言葉をお借りすれば、幅広いニーズに応えることだと思います。
>札幌〜白石間を「『学園都市線と函館本線旭川方』と『函館本線小樽方と千歳線』の組み合わせの線路別複々線にしていれば、直通運転を基本にすることで使用ホームを減らし新幹線ホームも(在来線と)並列にできた」という話が見られますが、これも正直申しましてよく分かりません。
いろいろ書いていただきありがとうございます。これは、方向別複々線にしておけば便利だったのにという例ばかりでなく、線路別複々線がよかったという例もあると考えて書きました。
各線の複々線化当時には、書いていただいたように様々な事情・条件があったと思います。ですので、今となってみればということも出てきます。前に書きましたが、先を見通すことは本当に難しいことです。
>一概に悪い案だとは言えないと思います。
できるなら新幹線ホームは併設したいと多くの人が考える中で、それができないならと選ばれた案だと思います。良いところも当然あり、選んだからにはさらに良くしてほしいです。ただ、完成後に、そして月日が経ってみれば、ああと思う状況になっているのを危惧はしていますけれど。
大宮駅(特に在来線部分)とその周辺には、43.10に関連して立体交差施設などが建設されましたが、全体としては大宮操車場での車扱い貨物への対応を考慮したもので、部分的な改良はされつつも、50年後の現在には適していないと思います。そして、@上野東京ラインと湘南新宿ラインの対面乗り換えができないことに加えて、
A9番線が北に約100mずれていて、15号車から階段までは編成の約半分、150m近くを歩かなければならない
B12番線に入る制限速度が非常に低く30km/hくらいになっていて、スムーズな運転の妨げになっている(朝ラッシュ時のような混雑し、かつ運転本数が多い時間帯は、同時対面乗り換えや同ホーム乗り換えでなくてもよいと思っています。京都駅や大阪駅での東海道線の扱いと同じです)
といった問題が生じています(私が気づくくらいですから、JR東はもちろん認識しておられるでしょう)。
上記構想では、東武野田線やニューシャトルとの乗り換えの改善が取り上げられていますが(何十年も不便なままでした。ようやく手がつけられるかもしれません。)、これと併せて駅の中心になるJR在来線部分にもしっかり手を入れ、駅機能の重要な要素である乗り換えの利便性向上も実現していただきたいと思います。
以下、偉そうなことを書きます。
何かをしようとする際、克服しなければならない問題や支障が出てくるのは世の常です。その問題や支障が乗り越えられなければ実現できませんが、大宮駅での対面乗り換え実現については、できる範囲、現実的な範囲にあると思っています(同じように考えているJR東の方もいらっしゃると思います)。
JR東は日本一・世界一の鉄道会社を自負しているのではと以前書きました。また、大宮駅とその周辺には、立体交差のような先人が残してくれた遺産と広大な鉄道用地があり、配線変更などがしやすい条件下にあります。能力と好条件を生かし、ライジングさんやムーンライトながら族さんが指摘された問題を検討して、実行に移してほしいと思います。
浦和駅での対面乗り換えの工事は、おっしゃるとおり赤羽駅よりは容易だったと思います。しかしながら、ご指摘の上野東京下りと湘南新宿上りを入れ替える高架橋建設については、南浦和側は浦和駅の間に線路をまたぐ高架橋などがないので比較的容易でしょうが、北浦和側は線路をまたぐ道路橋が2か所あり、そこまでに取りつくのはきつく、これらをまたいでから取りつく北浦和駅付近までの長いアプローチが必要になりそうです。また、南浦和から浦和を沿線はマンションを含めた住宅が集積しており、工事用地の確保も大変そうで、追加の立体交差も用地も不要な品川とは大きく異なると思います。
大宮駅周辺の既存の立体交差施設と、広大な鉄道用地を活用するのが現実的だと思っています。
私としては、階段等の混雑も緩和されればよいとは思っておりますが、途中で留まる人がいない(常に流れている)階段等よりも、出口方向に向かう人もいれば次列車を待つためその場に留まる人もいて利用者が錯綜しやすいホーム上の混雑の方が問題だと思っております(ホームドアは転落防止には役立ちますが利用者の錯綜は防げません)。
とりあえず、新宿方面〜宇都宮線/高崎線は乗換しか手段がないのではなく毎時2本とはいえ直通列車があるわけですから、JR東日本としてもそれを使ってほしいということなのだろうと思います。
大宮GCS化構想は長年検討が続いておりいつ本格的な工事が始まるのか分かりませんが、これが完成すれば大宮が抱える多くの問題が解消されるだろうと期待しております。
>戸塚で40年前に実現
東京特許許可局さんもコメントしていますが、同一線路を共有していた東海道線と横須賀線の線路を分離して複々線にした際に戸塚駅は方向別にしたものです。
また、JR発足前の国鉄時代の1980年です。いうまでもなく国鉄とJR東日本は別法人です。
上記2点から大宮の先例にはならないと思います。
お詫びしなければならないことがあります。
大宮駅の配線ですが、誤解していたことがありました。訂正させてください。
まず、高崎線から4番線への進入ルートはありませんでした。
(言い訳すると、かつて昔はあったはずですが、立体交差化の際に撤去されたのでしょう。あまりにも昔の話ですが・・・)
従って、3・4番線での対面接続はできません。
次に、6・7番線ですが、これらへは、東北線・高崎線の両線から入線できますが、よく考えると、両者を同時進入させることはできません。同様に、同時進出もできません。
従って、6・7番線を利用しての交互対面接続のダイヤを組むこと自体は可能ですが、停車時間を長く取る必要があります。(言葉の上では平面交差そのものではない組み合わせもありますが、実質的には「全て」平面交差支障と同一の現象が起こります。)
結局、上りについても、現状のダイヤを踏襲しながら、対面交互接続のダイヤは組めません。(新宿方面・上野方面の大宮発の時刻をずらすことは難しいでしょう。もっとも、上野方面は、途中で余裕があるスジもありそうですが、それを利用して、「対面交互接続」をさせることを目的に、大宮駅で3分乃至5分程度停車するとか、上野東京ラインが等間隔で無くなることが、果たして皆にとって便利になると言えるでしょうか?)
個人的には、大宮駅の配線を改良して、上り・下り共、(少なくとも)対面接続が可能となることを期待しており、どのような配線が望ましいかは、おいおい書き込むこととして、まずは、訂正してお詫び申し上げます。
京浜東北線利用歴45年さん、お詫びいただく必要はありません。
私は、既設の立体交差を活用した配線改良で対面乗り換えができるようすることを提案しています。現在の配線でできるとは思っておりません。
こちらこそありがとうございます。自身の考えを文章にまとめるのは難しいことだと痛感しております。
戸塚の話題が出ていたことは後から気づきましたが、おっしゃる通りあの設備は国鉄時代のいわゆる“SM分離”の過程でできたものですね。
戸塚と大宮では駅自体の利用者数が桁違いなのもありますし、戸塚の例は大宮に簡単に当てはめられる話ではないというご意見に同意します。
その他
札幌の件で一部民営化前後どちらの時期の話なのかが曖昧になってしまいましたので追記すると、白石〜苗穂間複々線化(千歳線北広島以北新線切替に伴うもの)は国鉄時代,苗穂〜札幌間複々線化は民営化直後(ただし国鉄時代から着手されていた札幌付近の連立事業に伴うもの)で,ちなみに札沼線の複線化事業(と札幌〜桑園間三線化)は民営化後の話です(いずれにせよ線路別複々線云々の話がよく分からないという自身の見解は変わらないので、まあもういいですかね)。
ブログ主は大宮で退避しなければ関係ないと返信していますが、ダイヤの自由度を狭めてまで整備を行うのかなという気がします。
https://tetsudoulab.com/ueno-tokyo-line-oomiyakairyo/
議論の方向性はともかくとして(配線改良に対しライジングさんとムーンライトながら族さんはやや否定的、京浜東北線利用歴45年さんとBangkokさんはやや肯定的と見受けました)、現状の配線と改良案の図がないと議論しようがないと感じます。
そこで、私が現状把握と妄想で図示してみました(実はここでの議論を基に5年以上前にまとめたものです)。個人の妄想という点をお含みください。
https://tetsudoulab.com/ueno-tokyo-line-oomiyakairyo/
ポイント追加で下りは8番線と9番線で同時発着できますが、8番線の宇都宮線と9番線の高崎線が発生し、「大宮からの」利用者にとっては改悪となる可能性があることが以前に最も重要な論点になっていた記憶があります。
なお、この記事のコメントに私の思考の弱点も指摘されていますので、その点もご認識いただければと思います。
また、深夜早朝にも貨物列車の運行があるので、配線改良のための作業時間が短くなってしまうことが予想されます(相鉄・JR直通線のための横浜羽沢の工事も時間がかかりましたよね)。よって、広大な用地があるからといって配線改良が容易に行えるとは限らないでしょう。
遅延やホーム混雑や誤乗の懸念も含め、ここまで挙げられた数々のリスクを越えて得られるのが日中の上野東京/湘南新宿同一ホーム接続だけというのは、あまりに効果が小さすぎると思います。
戸塚駅を方向別にしたのは東海道線と横須賀線の線路を分離して複々線にした際であることは承知しています。私が興味を持つのは、その際に恐らく工期も短かく安かったであろう線路別ではなく方向別を選んだ理由で、利用者の利便に配慮したのだと推測します。
なお、私が書いた「経緯」は、1月07日 9:01に「戸塚でAを実現→ エキナカには向かないことを認識してAに消極的になる→ 乗り換えの利便性向上も大切と考えを変える→ 品川で京浜東北と山の手の対面乗り換え実現 (→大宮での実現)」と推測したJR東の考え方の変化です。
戸塚の事例は「簡単にあてはめられない」というご意見には賛成です。JR東における興味ある参考事例と思っています。
国鉄とJR東日本は別法人ですし、JRになって変化したことも多いでしょう。しかし一方で、人材、経営資源、経験なども受け継がれていると思います。
京浜東北線利用歴45年様
これまで私のコメントの中で、何度かお書きになったことを踏まえたことを書きました。そのことを明示しようかと思ったのですが、意に添わなかったり、この議論に巻き込むことにもなってはいけないと思い控えました。かえって失礼だったかもしれません。お許しください。
tc1151234様
何年か前にブログを読み、図を拝見して同じようなことを考えている方がいるんだと思いました。今回、作成されたあの図があると議論がわかりやすくなると思いましたが、勝手に紹介するのはいかがなものかと控えました。これもかえって失礼だったかもしれません。お許しください。
皆さんのご意見を拝見した後の個人的な意見です。費用と実効性の面から難易度は高いかもしれません。
@5番線の地下化
宇都宮線の土呂方、高崎線の宮原方の上り線で貨物線用の分岐線を設けて、地下に進入。大宮駅北側付近の地下で合流、南進し、大宮駅では現在の5番線付近の地下を通過、新都心側で地上に出て、東北貨物線(湘南新宿ライン)上りに合流させます。
A12番線の復活
現在、11番線のホームの反対側は線路が外されています。これを12番線として復活させます(ホーム南側で11番線から分岐、北側で合流)。これにより、10番線を待避線として使用している貨物列車を12番線(状況により11番線)に回避させることが可能になります。
B4・6番線間及び9・11番線間のポイントの増設
以降は、tc1151234さんの案の通りにポイントを敷設します。
以上により、大宮駅における方向別のホーム対面乗換が可能になるのではないでしょうか。
もっとも、当初JRはホーム延長が必要な対面化をする意図は無かったものの、西武線の立体化と板橋貨物駅廃止の関係で結果的に対面になったという話もあるようですが。
品川も最終形がわかりませんので、乗換利便性の向上に目的があったのか、敷地や配線、工事手順の関係で結果的にそうなっただけなのか部外者にはわかりませんね。
>戸塚でAを実現→エキナカには向かないことを認識してAに消極的になる~と推測
矛盾していますが、何を根拠にJR東が考え方を変更したと推測したのでしょうか?
数年前までの、ある程度長い期間続いたダイヤでは、
下り(北行)の湘南新宿ラインは、(毎時)4本共、別方面への上野東京ラインとほとんど並走していました。
上り(南行)の湘南新宿ラインは、宇都宮線からの(毎時)2本は、高崎線からの上野東京ラインとほとんど並走していました。
もしも大宮駅で、湘南新宿ラインと上野東京ラインが同一ホームで発着できれば、高崎線からの上り湘南新宿ライン(毎時)2本以外は、対面交互接続が可能でした。
その後、湘南新宿ラインのダイヤは変わっていませんが、上野東京ラインは、まずは、宇都宮線・高崎線からの東海道線直通をそれぞれ20分間隔となるように変更され、次にコロナ後の減量ダイヤで、上野発着列車が削減されて、現行ダイヤに至っています。
これらによって、上野東京ラインのダイヤパターンは変更されて、その結果として、湘南新宿ラインと上野東京ラインの並走は、
下りは、大宮毎時11分の、湘南新宿ラインー宇都宮線・上野東京ラインー高崎線
上りは、大宮毎時12分の、宇都宮線ー湘南新宿ライン・高崎線ー上野東京ライン
のみになっています。
(なお、上り42分の宇都宮線ー湘南新宿ラインは、宇都宮線からの上野東京ラインと、緩急接続も兼ねて、3・4番線で、対面交互接続を図っています。)
交互相互接続ができなくとも、「同一ホーム乗り換えだと利便性は増す」、との意見も当然ですが、(私も今回分析してあまりにも意外だったのですが)現行の(昼間の)ダイヤをよくよく見ると、(上尾・蓮田・新宿・上野等で目的地に向かう次の電車を待つよりも)大宮で乗り換えた方が早く目的地に着くパターンは、それほど多くはありませんでした。
具体的には、まず、上り(南行)ですが、
・高崎線では、大宮50分着の上野東京ラインに乗り遅れて、56分着の湘南新宿ラインに乗車した、上野・東京方面に向かう籠原ー宮原間乗車客だけです。
(大宮26分着の湘南新宿ライン快速に乗り遅れて、32分着の上野東京ラインに乗れた、新宿方面に向かう桶川ー宮原間乗車客もそうかな、と思ったのですが、赤羽で埼京線に乗り換えると、池袋・新宿には埼京線が先着します。)
・宇都宮線では、大宮11分着の湘南新宿ラインに乗れずに、22分着の上野東京ラインに乗車した、新宿方面に向かう乗客(赤羽乗り換えの埼京線は、池袋以南は、大宮28分発の湘南新宿ラインの続行運転になります)だけです。
その他のケースでは、結局、目的地に向かう電車を待てばいいだけでした(道理で、上尾・蓮田等で次の電車を待っているのだ、と合点しました。)
下り(北行)では、流石にいくつかあります。
・湘南新宿ラインでは、
宇都宮線に向かう乗客は、行き先が高崎・籠原であっても乗車して、大宮で上野東京ラインに乗り換えれば早く着きます。(但し、新宿20分発の特別快速高崎行きの後の27分新宿始発の埼京線に乗車しても、赤羽で同一の上野東京ラインからの宇都宮線に乗り換え可能です)
一方で、逆に、高崎線に向かう乗客は、宇都宮行きの湘南新宿ラインに乗っても、大宮で次の湘南新宿ラインを待つしかありません。
・上野東京ラインでは、
上野05分発の籠原行きに乗れば、大宮で湘南新宿ライン快速宇都宮行きに乗り換え可能ですから、目的地が宇都宮線の快速停車駅であれば、15分発の宇都宮行きまで待つ必要はありません。
上野15分発の宇都宮行きに乗れば、大宮で湘南新宿ライン特別快速高崎行きに乗り換え可能ですから、目的地が高崎線の特別快速停車駅であれば、27分発の高崎行きまで待つ必要はありません。
しかしながら、大宮で乗り換えた方が早く着くケースは、この2例だけです。
正直言って、私も、「大宮で乗り換える」、という選択肢が、現実的にはこれほどまでに少ない(数える程のケース)とは思いもよりませんでした。
むしろ、私の分析の間違いであって欲しいとすら思っています。
大宮駅もやや古さが見えるようになり、野田線やニューシャトルとの乗り換え問題もあり、大宮操・東鉄工業大宮工事所・大宮総合車両センターなどをひっくるめて(高輪ゲートウェイのような)線路移転と土地捻出による再開発を機に対面乗り換えを実現できるのであれば、JR東日本にもメリットはありそうですが。
そもそも宇都宮・高崎線沿線と副都心方面との往来は直通サービス(「池袋直通」改め「湘南新宿ライン」)を利用するか赤羽駅で乗り換えるのが一般的ですから...
今さら大宮駅を大改良するよりも湘南新宿ライン宇都宮線内快速と湘南新宿ライン高崎線内特別快速を普通列車化して欲しいと考える一般利用者の方が圧倒的に多い希ガス...
昭和43年(1968年)10月1日改正
東北高崎方面では
・日暮里〜尾久駅間の立体交差完成
・赤羽〜大宮駅間の3複線完成
・浦和駅の中電ホーム新設
・大宮駅北側の立体交差完成
・久喜駅の下り1番線新設
・東北本線/上越線の全線複線化
・東北本線/高崎線/上越線の全線120km/化
などの大改良工事の結果、国鉄財政の悪化が一層進んだの鴨...
JR池袋駅付近における埼京線と山手貨物線の立体交差化、信号保安施設改良等により、池袋駅での同一ホーム・同一方向乗換えを図るとともに、埼京線に係る池袋と新宿間の輸送力増強を図る。(輸送力増強、乗換円滑化)
※この設備投資は、湘南新宿ライン(東海道・横須賀線沿線〜副都心間)の運行開始による増収(他社からの旅客移転)で賄いました。
・大宮駅の駅前広場を中心とした交通基盤整備
・駅前広場に隣接する街区のまちづくり
・乗換改善等を含めた駅機能の更なる高度化
これらを三位一体で推進する「さいたま市」の取り組みです
また、自ら出しておきながら申し訳ありませんが品川の例に関しても、どうも途中で工事内容が変更されたように思うので(当初から京浜東北北行と山手外回りを同一ホーム接続させるつもりならすぐ撤去するホームドアを旧2番線に設置しなかったであろう)、東京特許許可局様がおっしゃる通り乗換利便性向上以外の理由が工事の過程で生じたのかもしれません。
JR東日本は保線等のコストの削減のため各地で側線撤去等の配線スリム化を推進しております。そのような中でポイント増設等配線を複雑化するのは、よほど大きな利益が期待できない限り考えいにくいです。
京浜東北線利用歴45年様が緻密な分析をしてくださりましたが、大宮の乗換利便性を向上しても利益を享受できるのは宇都宮/高崎線利用者の中でも一部に限られます。
私としては、大宮の同一ホーム乗換が実現しないのは駅ナカ云々が理由ではなく得られる利益の小ささの割にリスク,コストが大きすぎるから、そして階段等昇降設備の混雑は大宮駅利用者の多く(宇都宮/高崎相互間以外の乗換客や大宮自体を目的地/起点とする駅利用客含む)が利益を享受できる昇降設備の増設すなわち大宮GCS化構想の実現によって解消を期待すべき問題だ、という考えに変わりはありません。
「勝手に紹介するのはいかがなものかと控えました。」
→私は公開する以上、引用も何も自由だと考えているので、断りなく引用いただいて構いません。
京浜東北線利用歴45年さま
ダイヤ解析をすると乗りかえが必要なパターンは少ないようです。
個人的には、大宮で短時間で乗りかえが可能なようにし、東京・新宿から宇都宮線・高崎線双方(そしてその逆も)への実質的な増発が理想と考えています。逆説的な表現となってしまいますが、今後の減便があったとしても、大宮での乗りかえが確保されることにより、サービス低下を最小限に留めることが可能とも評することができます。
前向きには「選ばれる沿線づくりの1つの大きな要素」、後ろ向きには「コストダウンとサービス維持を両立させる1つの手法」のように感じられ、前向き・後ろ向きいずれのシナリオであっても、大宮駅改良による同時発着・同一ホーム乗りかえは重要なカードのように思われます。
そして、どうしたら同じホームで発着できるようにできるかを考える中で、「既設の立体交差を活用する配線改良でできそうだ」と気づきました。それから7年たちましたが、その間、京浜東北線利用歴45年さんの「大宮の配線は旧操車場への出入りを重視していた時代を引きずっている」との意のコメントを言い得て妙だと思ったり、tc1151234さんの図に「言葉だと細かく書けば書くほど伝わりづらくなるが図は一目瞭然だ」と感心したりししていました。
また、大宮駅の配線はなぜ改善されないのかと考えるうちにエキナカが理由ではないかと思うようになりましたが、2018年の東洋経済?(ネット)に、接続を改善するだけで大きく利便性が向上する例として大宮駅があげられ、改善されないのはエキナカに利用者を誘導できなくなるためではないかとの記事を見つけました。同じことを考える人がいるなあとこれにも驚いたり喜んだりしました。
そうこうしているうちにコロナが発生しました。東京圏でも利用者減が前倒しで起き、「これからは選ばれる沿線にならないと鉄道会社も沿線も衰退していくだろう。可能な改善を積み重ねることが重要だ。少子高齢化は止まる気配もない。高齢の利用者や沿線での活気の源になる子育て世代への配慮がカギになるだろう」と考えるようになりました。同時並走を生かせないかからスタートした視点が広がって今日に至ります。
さて、1月7日0:34に下記のように書きました。
...........................................
1.基本的な考え
(1)今日の状況
特段の利用喚起をしなくてもお客が来てくれる時代は東京圏でも終わった。
選ばれる沿線にするためのできうる改善を怠れば会社も沿線も衰退していく。
増える高齢利用者と子育て世代への配慮が、これからますます重要になる。
(2)乗り換えの利便性
利用者目線で利便性が高いのは以下の順
@同時対面乗り換え
A階段の昇り降りが不要な同ホーム乗り換え
B階段の昇り降りが必要な別ホーム乗り換え
............................................
同時並走問題がダイヤが改正される中で改善され、乗り換えができる機会が増えるのはありがたいことです。
しかしながら、これは上記Bのレベル内での改善です。今後のダイヤ改正次第でさらによくなる可能性がある一方、諸事情により悪くなるかもしれない不安定なものだと思います。また、階段の昇り降りが負担になる高齢者、ベビーカー、小さな子供やその手を引く人たちにとっての問題は残ります。
BからA、@へレベルを上げること、言い換えれば乗り換えの利便性向上の基盤を作ることが重要だと思います。(京浜東北線利用歴45年さんが、「交互相互接続ができなくとも、『同一ホーム乗り換えだと利便性は増す』、との意見も当然ですが」と書かかれたところに相当します)
人はみな老いていきます。少子化の中で高齢者の割合はさらに増えていくでしょうし、若い子育て世代への配慮は、一層必要になると思います。@同時対面乗り換え、A階段の昇り降りが不要な同ホーム乗り換えにしっかり向き合うことが大切だと思っています。
階段やエレベーターをベビーカーはそもそも通れませんし、高齢者など足の弱っている方、子供の手を引いている方には疲れるだけでなく、恐怖を感じるところです。私でも、勢いよく下りてくる人、すり抜けていく人は怖い。気をつけないといけないと自分に言い聞かせています。
https://www.city.saitama.jp/006/008/002/012/004/013/p083991_d/fil/giziroku_2nd.pdf
一般論はそうだとしても、5番線・10番線は貨物列車の有効長ギリギリなのでポイント増設は無理との指摘もあり、そもそも配線改良により同ホーム乗り換えとすることは可能なのでしょうか?
>今後の減便があったとしても、大宮での乗りかえが確保されることにより、サービス低下を最小限に留めることが可能
大宮駅で@の同時対面が乗り換えできるようにし、高崎線も東北線も上野東京ラインも湘南新宿ラインも3本/時ずつすれば、両線とも一本も増発せずに、2倍の上野東京ライン6本/時と湘南新宿ライン6本/時の利便を得られると何回も書きました。
しかしご指摘のように、減便、例えば2本/時ずつに減る際でも、4本/時ずつの利便を得られるのでサービスを確保できますね。これからは、こちらのメリットが利用者にも会社にも大切になるかもしれません。減便は寂しいですが。
(交通新聞社新書だったかどうかは覚えがありませんが、新書版の本だったと記憶しています。)
記憶に基づいて、皆様に紹介したいと思います。
当時、埼玉県方面から都心西部方面への輸送力増強が急務となった。(当時は、副都心線開業前です)
湘南新宿ラインの増便には、2つの課題があった。
一つは、(これをお読みいただいている方全員が認識しているでしょうが)池袋駅の平面交差問題。
もう一つは、明治通りの踏切問題。
埼京線は、丁度、板橋貨物が廃止されており、電車線(後述)となっていたので、池袋大橋を潜った後で急上昇して山手線・山手貨物線を乗り越して、(地平面にある)池袋駅のホームまで、急降下する配線とすることには問題がなかった。
しかしながら、踏切問題の方が、どのようにクリアーするか、はるかに難題だった。
当時、山手貨物線は、池袋から大塚直前までは地平面に設置されており、明治通りとは踏切で交差していた。
貨物斜陽化後はあまり走らなくなった貨物列車だけであれば、それほど深刻ではなかったが、中電の池袋乗り入れ、湘南新宿ライン開業で、幹線である明治通りの、(そして春日通りを含めた池袋駅東口の主要な通りに近接する)踏切が頻繁に遮断することは、豊島区としては、大きな社会問題となっていた。
(私の注記ですが、湘南新宿ラインでは代々木の踏切が有名ですが、明治通りの交通量はそれとは到底比較になりません。都バスも頻繁に走っています。)
山手線は、埼京線を潜ってから掘割の中を進み、(地平面の)明治通りとは、橋梁で交差している。この勾配は、山手線が、電車線(機関車牽引列車が走らない線)であったから可能なのであるが、列車線ではこのような勾配は許されず、地平面の池袋から下がっていっても、明治通りを、(山手線と同レベルで並んで)潜ることはできない。
明治通りと立体交差とするためには、いずれにしても、明治通りを橋梁構造にする以外に方法はない。
一方で、明治通り側では、橋梁までのアプローチを設けることは、道路に面している家屋や他の道路との関係では、ほとんど困難である。
豊島区との協議は、難航を極めた。
何度も暗礁に乗り上げた。
しかしながら、踏切問題は何としても解消したいとの豊島区の思いは強く、最終的には地区の方々の協力を得て(後述)、明治通りを橋梁として山手貨物線を越すこととなった。
とは言っても、影響範囲、特に明治通りと交差する道路への影響を最小限にする必要があり、山手貨物線を極限まで下げることとした。
具体的には、池袋駅ホームの北方には、旧池袋電車区への出入りのための分岐器があって、鉄道側の観点からは、分岐器を超えたところから下り始める方がはるかに楽ではあるが、これでは、目白通りの橋梁のアプローチを設置できないこととなった。
そこで、山手貨物線は、ホームを外れたところから直ぐに下るようにして、分岐器は移設することとした。
(埼京線が1日か2日(?)運休となったこの工事は私も覚えていて、工事終了後に、どうなったのかを見に行ったのですが、配線は何にも変わっておらず、ただただ、分岐器部分が少し凹んだだけで、一体何だったのだろうと、当時思った記憶があります。なお、その頃は、HPで工事内容を詳しく開示することは行われていませんでした。)
「現在、湘南新宿ラインが多くのお客様に利用されるようになった裏側では、実は(鉄道側だけではなく行政・地元住民も含めた)こんな苦労があったのだ、というような表現で終わっていたと記憶していますが、この本を読んで、私は、明治通りの現地を見に行きました。
おそらくは、区が費用を補助(負担?)して、明治通り沿いの一角の建物を全部立て替えて貰い、建物や駐車スペースを、(坂道になった)道路に(平面として)接するようにして貰ったのだと想像しています。
もしもですが、明治通り沿いの住民の協力が得られなかったとしたら、どうなったのでしょうか?JR東日本は、湘南新宿ラインのこれほどの成長を諦めたのでしょうか?
それとも、湘南新宿ラインのホームを勾配上に設置するとかとの荒技を用いたのでしょうか?(しかし、池袋駅や駅北側の地下通路の大改造が出来るのでしょうか?特に、丸ノ内線との間の乗り換え通路は確保できるのでしょうか?)埼京線は電車線だとしても、10両編成のホーム端から西武線までの間で、上って下りてが出来るのでしょうか?(出来そうな気もしますが・・・)
丸太様の仰る「5方面作戦の時点で根本的に見積もりを誤っているように思います。」
というのは、かなりの程度当たっていると思います。
ただ、別に国鉄を擁護するつもりはないのですが、当時は、複々線は、列車線≒貨物線と電車線という位置付けだったのではないでしょうか?常磐線は、優等列車や中距離電車は少なくて、かつ東北本線より線形が良く、常磐線は、対東北の貨物の基幹ルートだったのではないでしょうか?(現時点では、東日本大震災の常磐線長期不通の時代を経て、常磐線はあくまでも補完ルートになっていると思いますが)武蔵野線との、今となっては過剰とも思える立体交差はその名残とも思えます。
従って、取手以南の国電によって、常磐線の輸送力を制約されたくない、というのが複々線の真の狙いであって、地元のゴリ押し(と私は思っていますが)に妥協して、とにかく緩行線の建設を急ぐ、という選択をしたのだと想像しています。
https://www.jreast.co.jp/passenger/2021_02.html
東京駅からほぼ40km(39.8km)で、常磐線各駅停車しか停まらないと、高崎線北上尾駅(40.2km)から京浜東北線で東京都心に向かうイメージで、快速線への乗換の不便さを考えますと、通勤の利便性はかなり低下したという気がします。
金町~松戸の松戸市域北側は準工業地域ですが、南側は市街化調整区域(住宅開発が原則できないエリア)なので、同区間に駅を設置するほどの利用者は見込まれないと思います。
https://www.city.matsudo.chiba.jp/shisei/toshiseubi/tosi/kako-keikakuzu.files/15000_R4.3.31_150dpi.pdf
天王台駅ですが、柏駅との比較では絶対にバランスを欠いています。
複々線化当時から、かなり長い期間、柏には緩行線しか停まりませんでした。
柏は、大宮よりも若干ですが遠いです。
しかも大宮のように他線接続駅です。
柏からは延々緩行線に乗らさせられて、(でも、多くは松戸で快速線に乗り換えさせられて)、柏との比較では、天王台利用者には、我孫子で乗り換えてもらえばいいだけの話としか思えないのです。
我孫子を終点にしてもよかったと思いますが、各駅停車(国電)の終点が取手であったことや、常総線沿線で常総ニュータウンの開発が計画され利用者増加が見込まれていたことから、取手を終点にしたと推察します。なお、当時はつくばエクスプレスは構想段階にも達していなかったようです。
柏には複々線化当初は快速ホームがなく、柏までを複々線化するつもりはあまりなかったのかもしれません。
今でこそ、つくばエクスプレスが開業したりいろいろな時代の変化で利用客減少傾向なので柏まで複々線化という考えても、それまではもっと混むであろうという予測だったのかもしれません。
であれば金町~松戸に駅を設置すれば利用者が増えるというコメントの意図は何でしょうか?
京浜東北線利用歴45年さん
北千住~綾瀬の複々線完成は1971年4月、柏駅のホーム設置は1972年10月ですね。複々線完成後の混乱を踏まえ、直ぐに設置の意思決定をして、工事を行なったと推察します。
wikiによると混乱を目の当たりにした我孫子市は、我孫子~取手の複々線完成後も天王台への快速停車を要望し、ホーム設置費用負担を条件に国鉄も認めたということです。
我孫子~取手の運行経費も節約でき、結果的にはJRにとってもよかったのではないかと思います。
@取手 :国電の終点であり、交流区間との関係でも区切りがいい。また、貨物輸送面からも有利。一方、例えば大宮と比べても都心からかなり遠いここまで複々線でないと対応できないほどの需要が発生するのか疑問。
A我孫子:当時もほとんどの列車が停車する拠点であり、成田線も分岐する。(当時そこまで見当がついていたかはわかりませんが)車両基地の用地を近くに確保しやすそうで管理上有利。一方、取手ほどではないが、そこまで需要が生じるか疑問。
B柏:野田線が南北に伸びる拠点であり、都心からの距離もほどほどで、需要も十分発生しそう。その反面、早く開発は進行しており、車両基地を近隣に確保できるのか怪しい。
上記のように考えると、我孫子を選び、その分浮く費用とマンパワーを中央線の複々線延に長回せばよかったと思いますが、後知恵は後知恵ですね。
常磐線は我孫子市以遠、東北線は蓮田市以遠、高崎線は桶川市以遠、中央線は国立市以遠、横須賀線は逗子市以遠、東海道線は平塚市以遠
で人口減少とすると、横浜市という勤務地を持つ南西方向を除けば、本数、拠点性などにあまり関係なく40km程度で人口減少というのは興味深いです。
さて、常磐線は複々線終点もさることながら当時の中距離列車停車駅や駅周辺状況を参照したとはいえ、松戸・我孫子間15km無停車も他路線と比べると極端な判断です。柏はすぐ工事出来たということは準備はしてあったということでしょうか。こちらも後知恵でいえば新松戸も準備工事ぐらいはあってもよかったのにと思います。
柏で快速線ホーム設置の準備をしていたのかは分かりませんが、確かに動きの遅い(イメージのある)国鉄にしては、複々線開業後1年半後のホーム設置は素早い印象ですよね。
当時の複々線化の混乱・不満の強さの表れで、天王台への快速線ホーム設置につながっている気もします。
ありがとうございます。
今、鉄道が分かってから考えると、実は驚異的な速さでホームが設置されたのですね。当時は、あまりに長い時間という印象がありましたし、松戸駅の乗り換えがパンクした、ということも、連日社会的な大問題になりました。全ては、当時の労使関係から、北千住ー綾瀬間は、営団線でなければ譲れないといったところから始まった悲しい歴史なのですね。
柏駅は、東武との貨物授受線を含めて、貨物側線がありました。(側線は、かなり後まで残っていたので、それでホーム設置はかなり後だったと勘違いしたのですが、私の記憶に残っている側線は、東武の持ち物で、東武柏駅改良用地として使われたのかもしれません)
複々線化の時に、緩行線ホームを東側に移設したのか、それとも元々の位置なのかは知りませんが、(ホームを見に行けばわかりそうですが)何れにしても、複々線化後も、(東武の持ち物か国鉄の持ち物かは知りませんが)機回し線を含めた貨物側線があって、その部分を利用して快速線ホームを建設したのだと思います。
複々線化は、柏まででもよかったかもしれませんが、車両基地用地は、柏より都心寄りでは綾瀬しか確保できなかった一方で、我孫子では用地が確保できたことから、我孫子までにするという選択肢は十分にあったと思います。
しかし利根川橋梁をわざわざ設置してまで取手まで複々線化したのは、貨物と国電を分離したかったからと(近年になってからですが)思っています。旅客輸送だけで考えれば、もともと、複々線にする必要はなかったと思っています。
さて、常磐線複々線の、現状の配線が、建設当時の輸送実態とは全く乖離してしまった(これ自体はあちこちにありますね)のをどうしたらいいかというひとつの試案です。
松戸駅の取手方に、快速線から緩行線への転線ができる渡り線を設置するのはどうでしょうか?(そして、松戸駅の上野方に、緩行線から快速線への転線ができる渡り線を設置する。そして、転線する列車はそれぞれ中線を利用する。これなら、上野駅同様に平面交差で構わないと思います。もしも、緩行線下り到着と、緩行線から快速線への出発の競合を心配するのなら、緩行線上りを下り本線に着発できるように渡り線をもう1本設置し、緩行線下りを中線経由にすることも考えられます)
朝ラッシュ時は、現状の運行体系でいいと思いますが、それ以降は、(終日、基本的に)
取手着発の快速は、緩行線に転線させて、松戸以北は各駅停車とする。
その分の常磐緩行線は、松戸で折り返す。(中線が支障するなら、引き上げ線を利用)
(夕ラッシュ時は、取手行き快速を一部残してもいいかもしれませんし、そもそも、朝方15両で上ってきて、昼間品川で寝ている編成を戻さなければなりませんし)
これだけだと昼間時は毎時2本ですが、我孫子駅の南方に、緩行線から列車線への渡り線を設ければ、成田行きも松戸以北各駅停車にできるので、毎時3本になります。(ただ、そこまでして成田直通に拘るよりも、昼間は、我孫子で土浦行きに接続する成田線折り返し電車(5両)というダイヤでも十分なような気がしますので、取手行きを3本設定することは可能だと思います)
柏駅・我孫子駅・天王台駅・取手駅利用者からは、有効列車が最大約20分間隔まで拡大するので、猛反発を浴びそうですが、松戸より北の快速通過駅にとっては、(取手着発を毎時3本にすれば)上野行きと千代田線乗り入れが交互に概ね20分間隔になるので、むしろ便利になり、常磐線の懸案事項も少しは解消し、顧客流動にも合致するのではないでしょうか?
更に、ひたち・ときわを20分・40分間隔として、松戸で、先行する取手行きを緩行線に逃がすというダイヤが組めれば、松戸での特急退避を解消させることができます。(もちろん、取手以北でこのサイクルが可能かまでは検証していませんが・・・)
輸送障害時に影響が広範囲に及ぶとか運転整理が難しくなるとか、ワンマンがどうしたとか、朝ラッシュ時以降の快速(区間快速?)が終日10両編成になるとか、いろいろな問題点をあげる人がいて、私も到底実現可能性があるとは思っていませんが、夢物語として・・・。
(ただ、東急新横浜線のダイヤに比べれば・・・とも思ってしまいますし、松戸駅の配線図に渡り線を2本(または3本)加えるだけで、電車の動きをシュミレーションしてみると、綺麗です)
今に比べると、あれこれの手続きや調整などが簡単だったであろう50年前でも、(1)ホーム新設を決定→(2)地質などの調査を実施→(3)ホームや線路などの施設設計を実施(ここまでの期間に用地を確保)→(4)工事施工→(5)使用開始、をこの短期間でやったとは思いにくいです。
実際には、@ホーム新設を想定していて用地は確保していた、A調査も終えていた、B設計も終えていた、C予算を確保できたら着工、という予定だったのが、「大変だ!直ちに着工」になったのではないかと思います。
とは思いつつも、調査は隣の緩行線のデータを流用、設計は概略で着工して詳細設計は工事をしながらやる、工事費も概算で契約・着工して後で精算する、を大胆にやった可能性はなきにしもあらず。何か当時の様子がわかる資料があるのでしょうか。
柏駅ですが、緩行線側には留置線があり折り返しができるようになっています。これはなぜなのか、と思いました。
当初は柏駅の混雑は各駅停車は柏始発を設定すれば問題なし、とされていた可能性はあります。ただその後快速ホームが新設した方がいいという判断がされて新設されたのかもしれません。
wikiによると複々線化完成後に快速の103系を8両に減車したと書いてあるので快速線に乗り換えしないで千代田線に客が向かうであろうという想定だったのでしょう。
北千住の千代田線ホームと常磐線快速ホームの乗り換え通路も1か所だけで乗り換えが便利だとはあまり言い難いです(だからこそ西日暮里までの通過連絡運輸があるのでしょうが)。
このような構造も乗り換えをしないで千代田線に向かうだろうということなのかもしれません。
もちろん、乗り換え通路1か所しかないのにはそれ以外の理由はあるかもしれませんが。
ご存知の方もいると思いますが、五方面作戦について下記の本が出版されてます。時間ができましたら、私も読んでみようと思います。
https://www.kotsu.co.jp/products/details/601084.html
天王台駅快速線ホーム設置の経緯は、そういうことだったのですね。
我孫子までの複々線化当時の状況からすると、我孫子市の懸念自体は理解できますし、費用を負担するという話までは、当時は(そして、今までも)知りませんでした。
京浜東北線利用者としては、新設駅を含めた3駅連続で、快速と緩行が停まるということにはあまりにも違和感があって、複々線化を実現したい国鉄に対して、地元がゴネている構図、と思い込んでいました。
さて、柏駅です。
今回、北柏駅の貨物設備は、常磐線複々線化に先立って、柏駅の貨物機能を移転するために設けられたことを知りました。
それまでは、柏駅には貨物機能と東武線との授受機能がありました。
そこで、私は、次のように想像しています。
常磐線のホームと東武線の間には、貨物側線が、少なくとも4・5本あった。
その用地を利用して、快速線と(最終的に)快速ホームが設けられた。
国鉄は、柏駅には快速ホームは不要と考えていたが、もしも地元負担であればホームを設置する用意はあった。そして、その準備はしていた。ということではないでしょうか?それで、短期間で作れたのではないか、と。(なお、ムーライトながら族様ご紹介の本を読み返したところ、柏駅のホーム設置費用は地元が負担したとのことです。)
複々線化直後の配線は、もしかしたら、ホームが作れるように上下線の間を空けていたのかもしれません。(線路移設までしたのなら、流石に1年ちょっとではできないでしょうから)
私は、どうしても京浜東北線との比較をしてしまいます。
浦和駅は、3複線化の時に、(おそらくは、国鉄負担で)旅客線にホームを設置しました。それは、国鉄として、必要な設備だと判断したからだと思います。即ち、もし浦和に中距離電車を停めないと、京浜東北線がパンクするだろうと判断したのだと思います。(しかし、逆に国鉄が必要と判断した範囲内で停めた=即ち、朝・夕2時間づつしか停めない、ということだったのでしょうね。流石に地元負担ではあり得ないと思います。今回、このカラクリがやっと分かりました。)
常磐線複々線化の際に、国鉄は、乗客は、快速から、(都心直通の)緩行線に移転すると考えていた。それで、快速は8両化し(京浜東北線等の増発に使われたと記憶しています)、旧型電車はなくなり、常磐線快速は完全新性能化されました。(改正後の大混乱から、廃車予定の旧型電車を引っ張り出してきて、臨時電車を運行しました)。従って、柏駅への快速線ホームは、国鉄にとっては必要な設備ではないので、国鉄では作らないが、地元負担ならどうぞ、というスタンスだったのではないかと思います。(当時は、限られた予算で、急増する旅客需要にどうやって対応するか、というのが大命題であって、顧客利便性という視点がなかった時代です。)
また、上記の本によれば、もともと取手駅までの複々線化予定だったものの、我孫子ー取手間の着工が遅れたのは、天王台駅問題の他に、快速を成田線直通とすべきとの議論があったからとのことです。そうすると、我孫子市の本命は後者であって、天王台駅のやや無理筋を吹きかけたという可能性すらあります。表に出ない話として、千葉県と茨城県の綱引きがあったのかもしれません。
そして、1月にこのスレッドに書き込みさせていただいた、湘南新宿ライン誕生秘話、そもそも池袋への中電乗り入れのネックになった明治通りの踏切問題の解消についての話も、ムーンライトながら族様にご紹介いただいている本でした。
今回認識をあらためたのは、我孫子・取手間の複々線化がかなり遅くて、我孫子までの複々線化の11年後、柏駅の快速線ホーム追設からでも9年後だったことです。てっきり取手まで一気に複々線化したと思っていました。
また、これは武蔵野線のことですが、私鉄との乗り換え駅がどこも直結していないのを、「どうしてこんなに不親切なんだ」と感じていました。そのことについてこの本では、「うっかり便利にして、その結果旅客輸送が増えると本命の貨物輸送に支障が出るので、わざと不便にした」旨が書かれていました。「なんたる考えだ。今もこれからも毎日何万人もの人が迷惑するではないか」と思いました。そして一晩寝ると、「この考えはケシカランが、一面、正鵠を射ている。現在でも武蔵野線の混雑は激しいが、もし鶴橋のような便利な構造だったら、もっと利用者は増えて大変なことになっていただろう。そうなれば10連化が避けられなくなっていたかも」と考えるようになりました。
柏駅の快速線ホーム建設については、将来の設置は織り込まれていて、調査や設計は進められていたのではと書きましたか、橋上駅舎の建設もあらかじめホーム追加を見込んでいなければ後で大事になってしまいます。このことも快速ホーム建設が突然の話ではなかったことを示していると気がつきました。京浜東北線利用歴45年さんが書かれたように、あらかじめホーム用地を空けて線路を敷設したのでしょうね。
浦和は京浜東北線混雑緩和のために中距離電車が朝・夕のみ停車で、柏も普通電車は朝のみ停車だったと思いますが、逆に川崎は東海道線混雑緩和のため朝は通過(横須賀線は停車)していたことや、複々線化当初は松戸~我孫子15.6km無停車だった一方で、錦糸町から5.2kmしか離れていない新小岩に快速線ホームが設置されるなど、線区によって違いがあったのは興味深いですね。
私の想像は、(乗客は、運転時分だけで選択するのではなく、乗り換えを含めた総トータルで選択するという当たり前のことを常磐線から学び)、錦糸町で東京(地下駅)行きにわざわざ乗り換える人は少なく、それでは、緩行線からの移転は十分ではなく、途中駅から直接快速線に乗ってもらわないと総武線全体の輸送力増強につながらないと判断したからだと思います。(新小岩・船橋の費用は誰が負担したかは、未解明です)
最近、どこかで複々線以前のダイヤグラムを目にした記憶があったので探したところ、鉄道ピクトリアル2021年11月号でした。常磐線複々線化を特集しています。
それで柏駅について分かったことは、
・快速線ホーム用地は用意されていた模様
・柏市は、ホーム建設費用の一部1300万円を負担した
(前記の本では、柏市の「負担のもとに」とあって、あたかも全額地元負担との書き方でしたが、でも市がそんな額を直ぐに負担できるはずがない、県から何らかの援助を受けたのか、とも思っていたのですが、おそらくピクトリアル誌の記述が正しくて、基本は(鉄道事業に不可欠な設備という位置付けで)国鉄が負担して、(複々線化時には、ダイヤ上は快速停車で構わないと、ホームを設置すること自体には多分合意していて、でも如何せん当時の国鉄には出す金はなかったので、あくまでも金次第ということで)柏市が積立を始めた分を差し出した、ということだと思います。これならば、浦和駅との平仄も合います。)
・柏駅に折り返し線が設置されたのは40年
・42年のダイヤグラムが載っていたのですが、柏折り返しの他に、南柏折り返しも設定されていました(柏駅への折り返し線設置によって、南柏駅折り返し電車の太宗が柏駅折り返しになったのだと推測します)
・柏駅快速ホーム設置のダイヤ改正で、快速は10両に戻された。
以上です。
ご存知かもしれませんが、S4310(ヨンサントー)改正で、中野~木更津に6往復の快速が設定されました。秋葉原~千葉の停車駅は両国・新小岩・市川・船橋・津田沼ですので、この時点で快速線のホーム設置駅を想定していたと思われます。
船橋は当時もおそらく千葉県内で乗車人員がトップだったでしょうし、両国発の房総急行の停車駅でもあったので、ホーム設置は当然だと思いますが、新小岩への設置理由は、京浜東北線利用歴45年さんの推測どおりもしれませんね。
複々線化前の総武線は、上記快速や急行を除き千葉で系統が分断されていたので、上野まで直通していた常磐線と比べ速達性の意識が弱く、快速線ホーム設置駅が多くなったのかもしれません。
おっしゃる通りと思います。
ただ、「卵が先か鶏が先か」的な話ですが、千葉までの複々線化以前は、千葉以遠から都心への通勤需要は少なかったと思います。都心通勤者がこの方面に住居を構えることを選択したのは、直通快速実現が見通せるようになってからと思います。
(尤も逆方向、特に当時は系統分断していた青梅線方面は、かなり深いところまで宅地化されていましたが・・。青梅線は、もともと電車であったからもしれません。なお、当時は、新宿副都心という概念はありませんでした。念のため)
複々線化前の常磐線の混雑は凄まじく、1965年度には285%に達していました。国鉄は複々線化により急行線200%緩行線220%に緩和されると予想していましたが開業すると急行線260%緩行線160%という結果。4月20日という中途半端な開業日から定期券を書き換えていない利用者が多かったとのことですが、千代田線経由では定期代が高く会社が負担してくれないから移転しない人がいたと思います。
別の資料で常磐緩行線はラッシュ集中率の高い路線と読んだこともあります。集中率が高いとラッシュ時は混んでいても他の時間帯はガラガラで車両の多くは基地で昼寝、投資の割には儲からない路線となってしまいます。
常磐線は通勤時の混雑が深刻だったのでその対策という面から複々線の施設を観察するのが一般的ですが、1960年代始めの計画時は通勤電車と貨物、長距離旅客列車を分離することを主に考えたのではないかと思います。これも京浜東北線利用歴45年様が既にご指摘ですが、具体的には長距離列車は遅延を抱えて運転されることがあったことに配慮したものと思います。遅延の要因は複数ありました。
(1)電化以前は平坦な常磐線が仙台以北への主要ルートだった。特急「はつかり」は運転開始時は常磐線経由だった。東北本線全線電化複線化後も「ゆうづる」「みちのく」「十和田」など多くの長距離列車が常磐線経由で運転されていた。
(2)上野青森間の優等列車と貨物列車は青函航路を介して北海道につながる。
(3)東北本線が全線複線化されたのは1968年。常磐線はいわき(旧平)の少し先から岩沼まで100キロ以上の単線区間が残り、現在に至る。
(4)東北地方と北海道の鉄道施設は脆弱なところ、冬季には雪害がある。青函航路は強風の影響も受ける。
(5)上野駅の発着線が限られている。
上野のホーム増設が難しかったので都心部分は複線のままにして別路線を建設して対処したのだと思います。
日中帯や土休日の多摩線の6両もワンマン化出来そうですね。
都市型ワンマンは確立されているので、ハードルは低いと思う。
・福岡市地下鉄七隈線の混雑を報じた「FNNプライムオンライン」(テレビ西日本制作)の報道(下記(1))
(1)https://www.fnn.jp/articles/-/520582
※下記(2)=福岡市交通局が公表した混雑状況
(2)https://subway.city.fukuoka.lg.jp/topics/detail.php?id=1006
私の知る限り、首都圏ではドアの両側から乗車するよう案内されているので、降車客は両側の乗車客の間をホーム中程まで移動するなどホーム上の動線が輻輳して混雑に拍車をかけている印象です。
地方の鉄道会社の施策でも、首都圏の鉄道会社も良いところはどんどん取り入れてほしいと思います。
ここは、貸し出しは行なっていないのですが、数年前に「東京の鉄道史」という企画展示がありました。
第5章「高度経済成長期の鉄道」という展示の中で、1956年に、日本国有鉄道工事局が出した、「東京附近改良計画」という第1級の資料がありました。
戦後の輸送需要急増を受けて、どのような鉄道設備改良(その時点の配線図と、計画された配膳図)が必要かということを、極めて具体的に、網羅的に、根拠を挙げて関係各方面に説明するためにまとめた資料なのだと思います。
明らかに、その後の5方面作戦の元となった計画なのだと思いますが、そのほとんどが、この計画そのままで実施されたようですが、常磐線ともう1点、根本的に異なっているところがあります。
常磐線ですが、腹付線増(複々線化)ではなく、新線建設(別線新設)との計画になっていました。具体的には、北柏以北は複々線での建設ですが、北柏駅付近から、西方向に伸びる新線を建設し、鳩ヶ谷付近をかすめて、蕨駅北方で、3複線化する予定の東北貨物線と合流し、赤羽駅には、貨物線にホームを建設し、(既に3複線化されていた)東北貨物線で王子へ、そして、北王子駅への貨物線をくぐって、尾久の車両基地から北へ伸びる引き上げ線2線に繋ぎ、上野の地下ホームへ、という路線図です。
赤羽以南は、用地買収は不要という計画です。なお、埼玉県内のルートは、おそらくは、常磐線開業の際に計画されたルートにかなり近いように思えます。(当初、このロートが有力だったのは、荒川を渡る橋を東北線と共用できるから、との説を目にしたことがあります。)
さて、蕨で、東北貨物線に合流した新線は、東北貨物線に取り込まれるのではなく、蕨駅では、立体交差で貨物線の上下線の間に入り、駅部では、4複線のままで、東北貨物線とは、相互に転線が可能とした後に、蕨駅南方で、立体交差で西へ向かう新線が建設されます。そして、今度は、武蔵境駅西方で、同様に立体交差で中央線と合流し、また相互転線が可能な配線とした上で、更に、南に向かうという新線です。要するに、武蔵野線計画の原型です。
その後、いろんな事情で、(多分、最大の要因は、貨物環状線を計画した時点では、このルートでも(武蔵境駅付近を除いては)ほとんど宅地を避けられていたのでしょうが、急激な市街化で、更に10キロ遠いところでないと、用地買収が困難になったということだと想像しますが)、常磐線別線とセットになった貨物環状線新線計画は見直されたのだと思います。
なお、京浜東北線目線で私が興味を持った点を2点。
旧浦和電車区は、この計画でも同じ位置にありましたが、南浦和駅新設の計画はなく、蕨駅から、(さながら、幕張駅のように中線から、旧幕張電車区への出入庫線のように)出入りする計画になっていました。多分、旧浦和市から、3複線化や電車区建設のために協力する見返りとしての要請から、南浦和駅を設置することになったのでしょう。
赤羽線ですが、前述の東北貨物線にホームを建設(具体的には、赤羽線ホームを転用して延長)することから、赤羽線は、地形を利用して、台地からそのままのレベルで東北貨物線・旅客線・京浜東北線を乗り越して、京浜東北線ホームの東側に線路を1線建設し、京浜東北線との間にホームを設けて、京浜東北線南行と、対面接続ができるように計画されていました。
この資料は5分冊で、第1編総論・第2編通勤輸送・第3編旅客輸送・第4編長距離輸送・第5編貨物輸送、となっています。
ダイヤの話も出てきますが、ただ、おそらく皆さんが一番興味があるダイヤパターンの話というよりも、運転間隔と、どこで一部を折り返すかということで、所要車両数とその最適な留置場所を求めるために、ダイヤを想定したという感じです。
貨物輸送編では、武蔵境駅付近の住宅地図に配線図を重ね合わせて、支障建物を具体的に特定していました。
このサイトの読者の方で、鉄道建設計画の歴史を調べている方がいれば、是非みてください。そして、内容を世の中に広く紹介してください。敗戦後わずかな時間で、環境の変化に対応してこれだけの緻密な計画をまとめ上げることができた旧国鉄は、あまりにもさすがとしか言いようがありません。
なお、「第2編通勤輸送」の請求番号は、T/O・682/3043/2です。
いつもながら、長々と失礼しました。
連休中で、話題(発表)がない時期なのでご容赦を。
川島令三著「全国鉄道事情大研究 常磐編」によると常磐線はかつては東海道線に次ぐ貨物輸送の多い線区だったそうです。これが何年頃のことなのかは不明ですが、改良計画は貨物輸送を意識したものだったはずです。線区別の貨物輸送量の年次推移の資料があったら見てみたいものです。
また東北新幹線の建設計画がいつ頃具体化したかも興味があります。最初に開業する区間としては東京ー仙台間を考えたでしょう。仙台ー盛岡、または(新)青森間のような部分延伸はあまり収益に貢献しないことはわかっていたでしょう。青函トンネル完成を待つことになりますが、札幌まで一気に開業させたかったでしょう。
初乗りが150円であるので子供だと全区間その半額。
75円。端数のある金額ですがICでの購入で、とのこと。
子ども2ケタ運賃制度。次は京成で導入か?
せっかくですので、後2点だけお付き合いください。
まず、このサイトをご覧になっている方「誰しも」が、かねてから疑問に思っているはずの点です。それは、「5方面作戦の際に、何故、方向別複々線を採用しなかったのか」、という点です。
この資料では、何故、方向別複々線を採用できないと判断したのかが説明されています。多くの場合、またしても、貨物ヤードとの関係ですが、例えば、我孫子駅などは、方向別複々線での対面乗り換えは便利ではある(構造上も可能である)けれども、成田線との乗り換えの方を重視すべきで、出入庫列車との関係でも難がある、との理由であったと記憶しています。(残念ながら、複々線が、我孫子までだったか、取手までだったかは、意識してみていませんでした。)中央線は、あまり明確に記憶していませんが、もし取り上げているとすれば、中野電車区と三鷹電車区への出入庫、だったような気がします。
方向別複々線を採用しない理由を見つけて並べ立てた、という皮肉な見方もできるのかもしれませんが、いずれにしても、検討した結果として、この配線という結論になったということを対外的に説明する姿勢があったことは、事実だと思います。
もう一点、線増に当たって検討しなければならないのは、踏切問題であって、基本は、高架化が必要、としています。そして、多くの場合は、線増と共に、高架線とされたのですが、東北線は、地平で3複線化されています。
その理由は、まず、浦和駅付近は、地形を利用して、県道2本(越谷街道・浦和ー草加線)と既に立体交差構造となっていること。そして、浦和以南で線路脇まで市街地があるのは、蕨駅・川口駅付近だけであって、両駅は共に貨物ヤードがあり、高架化は不可能、そして、両駅付近以外は(当時は、見渡す限りの)田圃。次に、浦和以北では、北浦和駅手前で、地形を利用して中山道とは、立体交差構造となっていて、それより北は、既に線路脇まで市街化が進んでいたが、中山道を潜ってから北浦和駅の南にある踏切2本までの間で高架に駆け上がることは、(機関車牽引列車を前提とすると)不可能。与野駅付近は、大宮操車場の一部になっていて高架化は不可能、という説明でありました。
またしても、ダイヤと直接関係ない話で恐縮ですが、前者は、検討はしてたのね、という話のご紹介としてご理解ください。
戦後の経済成長期には、旅客輸送も貨物輸送も右肩上がりに増加を続けていて、少しでも早い複々線が重要課題でしたが、一方で赤字も右肩上がりに増加していました。国鉄は、方向別の利便性等が高いことは承知しつつも線路別を選ぶしかなかったでしょう。
当事者には選択の余地はなくても外部は違うので、方向別がいいという意見はあちこちから出てきます。これに対して「お金がないですし急ぎますから、不便でも線路別しかありません」と単純に説明しても、理解してもらうのは難しい。このため、方向別にする工事がどう難しいのかを具体的に示したり、線路別の方が混雑が分散するという疑わしさが残る説明をすることになるのでしょう。
いったん線路別になってしまうと、方向別への改良はもっと難しいというか、現実的には未来永劫できそうになくなります。しかしながら、現実的な改良で方向別の利便に近づけられる場合はあります。何度も書いてきた、大宮駅での既存立体交差を活用する対面乗換えの実現はその一例です。
大宮駅以外にもこのような事例がないでしょうか。また、ここなら実は方向別への改良にも現実性があるといった事例はないでしょうか。
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC318IN0R30C23A5000000/
関電トンネルのトロリーバスは2019年にEVバスに切り替え済みですが大観峰〜室堂間も同じくEVバスになるようですね
静岡県の川勝知事は要望していません。かつて石川嘉延知事は空港駅を要望し、東海道新幹線のダイヤ案も発表されました。JR東海歴代社長は要求を拒んでいます。JR東海の姿勢が変化したとの報はありません。
南アルプスの下のトンネルは難工事が予想されます。今すぐ着工したとしても、2027年に間に合いそうにありません。新大阪までの全線開通は名古屋までの部分開業の更に10年以上先になります。
静岡空港駅が実現することがあったとしても、静岡駅への速達列車停車の増加とともに、リニア新幹線の全線開通の後となるでしょう。
いっそのこと南アルプストンネルは後回しにして完成した区間から先行開業させたらと思うようになりました。場合によっては名古屋ー新大阪間も先に着工し、完成を目指すことも検討したらと思います。
近年の鉄道整備は、「基本的に」公費補助を受けて行われている、ということです。
そうすると、鉄道新設は、鉄道会社の全くの独自の経営判断で行われるわけではなくて、補助金の交付を受ける以上は、事実上、行政の意向に沿ったものであることが求められるという宿命をはらんでいる、ということです。
(鉄道が新設されることは、我々一同、基本的に歓迎することですが)、純粋に(現在の)顧客流動や顧客利便性向上を超えた、(将来における)鉄道網のあるべき姿というベクトルも働くが故に、こう繋げて本当に利用客はそんなにいるの?とか、この方がいいのでは、或いは、少なくとも優先順位が違うのでは、といった、若干の違和感を感じることもあるのでしょうね。
また、補助金を受けるにあたっては、行政とのやり取りの中で、数字を作り上げているはずですから、少なくともある程度の期間は、ダイヤ構成はそれに縛られ続けることになるのでしょうね。
鉄道新設は、「基本的に」と記したのは、あれ?JR羽田空港線の記載は見つけられませんでした。(私の見落としでしょうか・・)
もしかして、羽田空港線は、(近年では珍しく)JRの全くの独自事業で、独力で行われる(或いは、今後、補助が正式決定されるのか?)?
リリースによれば、空港整備事業費は投入されるようですが・・
もう一つ、補助金交付は、新線建設だけでなく、改良工事も対象で、「乗継の円滑化」という名目で、阪神尼崎駅の改良工事も、補助金を受けて行われたのですね。地道な改良工事は、あまり着目はされないでしょうが、是非、この制度も積極的に利用されることを期待したいと思います。
今日は、Yahoo!にアップされたこの記事を紹介したいと思います。
https://news.yahoo.co.jp/byline/kobayashitakuya/20230705-00356532
コロナ禍での減便を見直し、増発すべきであるというのが筆者の主張です。
線区ごとに事情は違うでしょうし、個人的にも増発はありがたいと思うのですが、
一方で都市部でも減便を重ねる線区が見られ、なかなか難しい問題のように思います。
皆様のご意見もお聞かせいただけると嬉しいです。
7/22 足立の花火
東武…北千住〜竹ノ塚・北越谷間で上り1本、下り2本、臨時普通列車を運転
(70000系が北千住駅地上ホームに入線したことが特筆される)
東京メトロ…綾瀬→霞ヶ関間で3本、臨時普通列車を運転
7/25 葛飾納涼花火大会
京成…金町線で20・21時台に2往復増発、定期列車時刻変更(10分間隔で運転)
通常17時頃まで行っているワンマン運転は、15時頃に打ち切られた模様で以降は車掌乗務でした。
JR九州小倉駅の初乗り170円の切符が日に300枚売れているところ、30枚しか回収されていない。実に9割が不正に利用されている可能性がある。ワンマン列車、無人駅が増えたという背景が考えられる。
小倉駅はJR九州全社で2番目に利用が多い駅。初乗り170円で行けるのは隣の西小倉駅だけである。
ゴッタルドベーストンネルので発生した貨物列車脱線事故によるインフラ被害は予想を大幅に上回っており、修復には2024年初頭までかかる可能性があるとスイス連邦鉄道が報告
参照先:https://www.railwaygazette.com/infrastructure/gotthard-base-tunnel-repairs-could-last-until-next-year/64755.article
ゴッタルドベーストンネルは単線並列方式で2本並んで建設されましたが、西側のトンネルで発生した貨物列車脱線事故でスラブ軌道が8000bに渡って破壊されたとのこと
単線並列ですので東側トンネルで運行自体は再開してますが、西側トンネルを避難坑として使えないため規定により旅客列車の運行ができず貨物列車のみの運行、旅客列車は峠越えの旧線経由となった模様
https://twitter.com/vincent_ducrot/status/1692565883237912996
スイス連邦鉄道CEOに依れば、散乱した貨物や積荷の片付けは殆どが手作業で行われるとのこと
・JR東日本(長野支社)が「ダイヤ作成講座〜臨時列車設定編〜」販売に関し下記にて発表
https://www.jreast.co.jp/press/2023/nagano/20230901_na01.pdf
※上記によると、「実際に運転する予定の列車ダイヤを作成」、などとのこと。
・JR東海,JR西日本が3大ピーク期における「のぞみ」号の全席指定席での運行(今年度年末年始〜)に関し下記にて発表
https://jr-central.co.jp/news/release/_pdf/000042944.pdf
参照元(北海道文化放送):https://www.uhb.jp/news/single.html?id=37900
現在JR札沼線は北海道医療大学駅が終点となっていますが、需要の根源である同大学が移転されてしまった場合の今後が気になるところではあります
博多延伸開業後も利用が好調な様子を伺わせてくれます。
詳細は市交通局サイトに掲載です。
https://subway.city.fukuoka.lg.jp/topics/detail.php?id=1818
東京駅の東海道新幹線ホームには、今も閉まったままの売店があります(蕎麦屋もだったかな?)。これも人手不足が理由で、車内販売をやめたら要員を回して再開するのかな? それとも売店は多過ぎだったと考えているのかな?
6000系の小さい窓と暗い色調と比べ、同じシリーズだけど、びっくりするほど良くなったと感心したことを思い出しました。そして、特にチョッパ時代の走りは軽くなめらかで、野性的な東急8500系とは対照的だったことも面白かったですね。
この理由として、快速系を停車させると停車駅が増えて所要時間が伸びる、そもそも快速線にホームがないといったことがあげられますが、中央線の特急については、新宿・立川間は快速に頭を押さえられてゆっくり走っているので、西国分寺に停車しても所要時間への影響はないか、あっても軽微でしょう。また、西国分寺のホームも延長工事が進められていて、間もなく12連のあずさにも対応できるようになります。
あずさが西国分寺に停車するようになれば、JR東の各線はもちろん、西武・東武・つくばエクスプレスの沿線からの利用者の利便も向上します。ぜひ検討して欲しいですね。
なぜなら首都圏の列車は日中でも混むからだ。
本当のことをいえば、首都圏の普通列車は全列車15両編成走らせて欲しいのだが、コストの関係でそれは無理だと思う。
それならば普通列車の普通車はオールロングシートにした方が混雑は緩和されるとおもう(E235系1000番台のように)。
首都圏でどうしてもクロスシートに座りたいのなら、お金を払って特急列車か普通列車のグリーン車に乗ればいいと思う。
また鉄道車両や首都圏の駅構内のバリアフリー化ももっと進めてほしいと思う。
と言うのは私自身現在杖をついて歩いており、身体障害者やお年寄りの方々がいかに大変な思いをしているかわかるからだ。
バリアフリー化のためなら運賃を値上げしても良いと思う。
なお、JR東日本では常磐線(土浦〜原ノ町間)と鶴見線がワンマン運転の関係で乗客にとって「マイナス」の発表になる可能性が大と考えていますので特にその点よろしくお願いいたします。(常磐線は労組資料から、鶴見線は車両置き換え計画から推定したものです)
以上です。
特急を西国分寺に停めてもデータや通勤利用時の感覚からすると効果が小さいように思えるので、個人的には反対です。
西国分寺は大都市交通センサスの定期利用データを参照すると下り方面の利用の方が多く、上りは国立を僅かですが下回る数値です。(国立約34000、西国分寺31000)
※因みに朝7時30分前あたりの西国分寺ホームを見ると、本数差の影響もありますが下りホームの方がかなり混雑しています。
また西国分寺からの定期利用は近距離主要駅までへの割合が高く、他の駅とかなり異なる傾向が見られます。都市方面への遠距離需要自体が他の駅より比較的少なく、停車させても効果は小さくなってしまうように思えます。
グリーン車の運用開始も迫り、これなら西国分寺→荻窪など近距離需要にも対応できるので、西国分寺についてはそちらに任せる方が需要にあっているのではと思います。(朝ラッシュは西国分寺→荻窪も24分前後かかるので、幾分か利用はありそうに思えます)
特急については、停車駅追加を検討するならば西国分寺よりも国分寺の方が先ではないかと考えていますが…
武蔵野線は西国分寺の南側には2駅しかありません。府中本町での南武線との乗り換えは不便です。
西国分寺を特急停車駅にした時の利便性向上はこれらを考慮する必要があります。
同じ視点で、井の頭線乗り換えがある吉祥寺停車もいいかな。また、遅延時も快速などに挟まれてゆっくり走ることは変わらないので、停車の゙影響は少ないと思っています。
遅延発生、外国人利用者の多さ、全席指定席化と、あずさの西国分寺停車の゙関係がよくわかりません。教えていただけるとうれしいです。外国人利用者にはプラスだとは思いますが。
そのような状況下で果たして、武蔵野線方面から山梨方面という需要が見込めるのか、見込めるとしてもそれが定期特急列車の西国分寺追加停車を必要とするレベルなのか、とは思います。
ご指摘の臨時列車は、武蔵野線の都心からの路線との接続駅、新秋津、北朝霞、武蔵浦和、南浦和、南浦和、南流山の全てではなくても多くには停車したのでしょうか。
また、前に書いたとおり、快速12両化に伴い、あずさの西国分寺への停車に大きな障害はなくなるでしょう。一遍にやるのに抵抗があるなら、まずは少しずつやってみればと思います。
少なくとも2016年夏臨で設定された「リゾートやまどり富士山」や「むさしのかいじ」は北朝霞と新秋津に停車しておりましたね(当時のJR東日本八王子支社リリース(下記)参照)。
https://www.jreast.co.jp/hachioji/info/20160520/20160520_info01.pdf
大宮方面発着の場合は配線上、武蔵浦和と南浦和は経由しないでしょう。
武蔵野線東側から中央本線方面の直通臨時列車があったかどうかまでは存じ上げません。
なぜなら首都圏の中距離列車はいつも混んでいるし、クロスシートは車内が混雑していても席が空いていることがあるからだ。
本当のことを言えば、首都圏の中距離列車は全て15両編成では知らせて欲しいが、コスト的にそれは無理なので、混雑緩和のため普通車は全てロングシートにして欲しい。
それでもクロスシートに乗りたいのであれば、お金を払って特急列車か普通列車のグリーン車に乗ればいいと思う。
また駅構内や車両のバリアフリー化も進めてほしい。
というのも私は今年の8月に自宅の階段から落ちて頭を打ち、外傷性の脳出血を患って現在杖をついて歩いているからだ。
体の不自由な方やお年寄りの方も鉄道を利用しているので、鉄道のバリアフリー化は進めて欲しいし、そのためになら運賃を値上げしても構わない(現に形成がバリアフリー化のために運賃に10円上乗せするらしい)。
https://dia.seesaa.net/article/484565818.html
あずさを西国分寺に停車させる場合、中央線の都心側と山梨長野側どちらの需要が多いか考える必要があります。
山梨長野側ではライジング様が指摘されていますが、臨時列車の設定を見るとあまり需要が無いのかもしれません。南武線から甲府方面に行くなら立川で乗り換えます。
西武東武の沿線からの利用がいくらか期待できるとしても、都心寄りは新宿に出る人が多いでしょう。中央線沿線は自然が豊富ですが、東武西武線沿線にもそうした観光地は多く、とくに西武は自社線沿線へ行楽客を強く誘導しています。
以上を勘案すると都心側にも一定の需要が無いと西国分寺停車は意義が少ないかなと思えてくるのです。さて、中央線では近くグリーン車が導入される予定です。あずさは遅延が多いものです。予約した特急列車が10分遅れていたらすぐ発車する特別快速、場合によっては快速が新宿に先着するのでそのグリーン車利用を考えます。
これを路線ネットワークの視点からみると、都心から各方面に放射状に伸びる各路線と、環状に伸びる武蔵野線・南武線の結節の強化が大切になります。しかしながら、民鉄各路線では、特急など一部を除いて速達系の列車も結節点の駅に停車する一方、JR東の路線では同一会社の路線にも関わらず、基本的に各駅停車しか停車していません。
JR東も、この状態を良しとはしていないものの、速達系が走行する線路にホームがない、停車すると都心と郊外間の所要時間が伸びてしまう、といった問題があるため、停車を実現できなかったのでしょう。こうした中、そもそも快速線のない西国分寺で、グリーン車組み込みに伴って12連のあずさも停車できるようになります。また、幸か不幸か先行列車に頭を押えられてスピードが出せないので、同駅に停車しても所要時間への影響はないかあってもわずかでしょう。
首都圏のネットワーク強化に向けて、JR東が一歩前進するいい機会がやってきていると思っています。
直通運転ができるような配線改良は、府中本町の南側で可能な気がするのですが。貨物線との平面交差は生じますが、そもそも武蔵野線では貨物と旅客は交互に運転されていますし、調整の余地はあるのではと思います。また、快速停車駅だけでも、8連が停車できるようにする改良工事は非現実的なのでしょうか。
しかしながら、
@あずさより停車駅が多いので、頭を押えられる程度が小さく、所要時間への影響が大きい可能性があること、
A利用者の集中が激しくなること、
を懸念してあずさのみにしました。
もし杞憂なら、特別快速も停車させたいところです。
私が先の投稿で「データから、西国分寺は都市方面への利用の割合が他と比べて小さい」と書きましたが、少し細かく書くと「西国分寺からは新宿以遠までの利用者数の割合が少ない」という形になります。
つまり西国分寺に特急を止めても、多くの利用者にとっては降りる駅には止まらないから使い難いのでは。使える人が少ない列車を止めたところで、それが果たして接続の改善になると言えるのだろうか?と疑問に思ったという次第です。
大都市交通センサスで外環状線との接続駅のデータについては、過去のニュース関連で幾つかの駅を調べたところ駅によって異なった傾向もみられます。過去記事で私が書いた例だと、北総線の新鎌ヶ谷は都心ではなく千葉NT中央へ向かう動きの方がメインであったり、東武の新越谷では蒲生〜西新井の合計が北千住を微妙に上回る程の数にまで膨れ上がったりなどあります。
もし特急の西国分寺停車を本気で考えていくのであれば、外環状線接続駅だからと一緒くたにせず駅ごとの利用状況やダイヤ状況など色々な面からを考慮していく必要が出てくるはずです。
立川,武蔵小杉,川崎は南武線との乗り換え需要だけでなくその駅自体の利用者数が多いです。八王子も立川より西では利用者数が頭一つ抜けています。その一方で西国分寺は、駅自体の利用者数はさほど多くありません(下記=JR東日本ホームページより)。
https://www.jreast.co.jp/passenger/
そういった意味では、ひで99様が12/4におっしゃった国分寺は利用者数がそれなりに多く緩急接続も可能ということで、検討に値するかなと思います。
過去の臨時列車のことを書いていただいたのはありがたく思っています。ただ、臨時列車の実績から類推できることはありますが、似たところはあるが、同じではないので限度があります。ですので、臨時列車の状況で、重要課題である結節点強化の具体策であるあずさの西国分寺停車の要不要を判断するのは、適切ではないと思います。ですので、先日書いたように、一遍にやるのに抵抗があるなら、まずはすこしずつやってみればと思っています。そして少しずつやる中に、西国分寺だけでなく、国分寺とか吉祥寺に停まるパターンも入れて、需要の大小を見てみるのもいいかと思います。あずさの追加停車のハードルは下がるので、JR東にとって大きな負担にはならないでしょうから。
臨時列車に関してそのようにお考えということであれば、昨夜から今日午前にかけてのご投稿の中でそうおっしゃっていただければよかったです。12/5のご投稿で停車駅までお尋ねだったのに今回スルーされていたので寂しさを感じておりました。
私としては、例えば中央本線系統なら過去に新宿〜河口湖間直通の臨時列車の種類,設定日が徐々に増え2019年の特急「富士回遊」新設につながったという流れなどを見ておりますので、臨時列車から将来を推測することも大事だと思っております。
「少しずつやる」ということであれば、2019年に臨時で設定された「信州かいじ」(翌年の多停車型定期「あずさ」復活につながる)のようにまず臨時の特急「あずさ」等を何本か停めてみるという案ならまだありうるかなと思いました。
三鷹駅は三鷹市だけでなく武蔵野市・杉並区・中野区さらに井の頭線沿線からの利用も見込まれますが、ご承知のとおり2019年3月改正で、「あずさ」「かいじ」の停車を取りやめています。立川まで2駅の西国分寺に停める考えはないかなと思います。
こちら、東洋経済で問い合わせた記事がありました。(特急ではなく特快ですが)
>隣の国分寺駅に特別快速が停まり、停車駅の増加による速達性の低下を防ぐとともに、国分寺駅では快速電車と相互に乗り継ぎできる構造にしているためこれを活用いただきたい
特急についても同様の考えかと思われます。
臨時特急「鎌倉」は西国分寺に停車しますので、需要が多いとみなされたらライジングさんの仰るように、まず臨時列車が設定される可能性はあるかもしれません。
https://toyokeizai.net/articles/-/696364?page=2
「あずさ」「かいじ」の西国分寺停車には、ダイヤの面から、いくつかの疑問があります。
まず、西国分寺停車による運転時分の増加をどう考えるかです。東京対山梨・信州の運転時分増加に見合う効果があるのか、という視点です。
(まさか、西国分寺停車の代わりに立川は通過するなどとは、言わないでしょうね。
青梅線・南武線接続だけでなく、立川自体も(甲州街道沿いではないですが)、中央本線沿線と交流があると思います。)
次に、「あずさ」「かいじ」は、立川で快速と対面で緩急接続しています。仮に、西国分寺にも停車させたところで、武蔵野線の接続電車は1本変わるのでしょうか?
そして、「西国分寺に停車しても所要時間への影響はないか、あっても軽微でしょう」とおっしゃておられますが、特別快速・快速への影響は検証されましたか?確かに下りは、特別快速・快速へ影響させずにダイヤを組めるかもしれませんが、上りは、今の緩急接続パターンを崩し、どこかに特別快速と快速の運転時分増加をもたらしそうです。何故か、1時間あたりの特別快速の運転本数は、上り5本・下り4本と異なっているので、下りと同じパターンにすれば、影響はないダイヤは組めるのかもしれませんが・・・
京浜東北線利用者としての感想を言えば、30年前だったら、(当時は立川を通過していましたから)もしも西国分寺停車をしてくれれば、すごく便利になるな、と思ったのでしょう。当時は、赤羽・池袋で地下道等を通って乗り換えて、ということで、新宿経由はすごく時間がかかっていたのですが、今は、湘南新宿ラインや埼京線がありますから、別に新宿経由でも、といった感じです。
(今でも、武蔵野線経由の方が10分程度早いようですが、特急が西国分寺に停車するようになったら、更に10分短縮されるのでしょうか?、ということです。)
乗り換え一回で放射方向の路線と環状方向の路線が乗り換えられるのが、結節点の役割だと思っています。
立川通過はご明察のとおり、考えていません。
現在のあずさの走りからみて既存ダイヤへの影響は軽微だと思っていますが、検証といわれると私の手には余ります。この点は弱いですね。
このため、次の特急サンダーバード号に遅れがでています。
【大阪⇒北陸方面】
・サンダーバード25号(金沢行き) 約30分遅れ
JR西の運行状況に上記が出ています。京都駅の奈良線ホームで何かあって、隣接する京都線下りに影響が及ぶのならわかりますが、25号が走るのは離れた上り線ですから。どういうことなんでしょう?
さて、あくまでも非常時における対応ということで情報提供欄への投稿は控えますが、首都圏の鉄道各線における臨時列車の情報を紹介させていただきます(新幹線等の情報は省略します)。
・東京モノレールが1/4,1/5の臨時列車に関し下記(1)にて発表
(1)https://www.tokyo-monorail.co.jp/info/detail.asp?cd=2024010401
・京浜急行(京急)電鉄が1/4〜1/8の臨時列車に関し下記(2)にて発表
(2)https://www.keikyu.co.jp/assets/pdf/report2024010401.pdf
これは、名鉄側が着発線を増やしたり、供用区間の制限速度を上げる際の費用などを考えて「頑張らなくてもこれでいい」と考えているからなのか、JR東海がこうした制約の解消を嫌がっているのか、どちらなのでしょうか?
もし、JR東海が嫌がっていて、かつ豊橋市などが名鉄のサービス向上を期待しているなら、自治体からJR東海に働きかけないと話が進まない気がします。
さて、本日、能登半島地震の影響で運休になっていたJR七尾線のうち、羽咋〜七尾間が運転を再開しました。
これに伴い、「サンダーバード」の七尾線直通が再開されましたが、七尾〜和倉温泉間が運休中のため、
史上初めて「七尾行き」として運転されています。
https://trafficinfo.westjr.co.jp/dat/images/kana/240122nanao.pdf
間違っていたら恐縮ですが、過去、他の列車を含め、七尾を起終点とする特急は存在しなかったと思いますので、
「能登かがり火」も含め七尾発着の特急が設定されるのは、七尾線の歴史に残る出来事かと思います。
目撃情報によると、大阪駅などの駅案内表示や車両の行先表示は「七尾」の表示を出していたそうで、
一時的な対応とはいえ、珍しい光景が見られることになりました。
なお、七尾〜和倉温泉間は2月中旬に再開見込みとのことで、ダイヤ改正までに再度、
「和倉温泉行き」を大阪駅などで見ることができそうです。
能登半島地震で被災された皆様に改めてお見舞いを申し上げますとともに、
のと鉄道含め、被災した区間が早期に復旧し、地域の復興の力になることを願います。
>指扇や西大宮は定期外利用者の割合が3割を切っています。
なるほど、やっぱり、と思いました。(旧大宮市)西部の方が、昼間に外出するときは、鉄道よりもバスで大宮駅に出ているのでしょうね。
でも、これは、鶏ー卵の話のように思います。
私の考える理想ダイヤは、(昼間は)大宮で系統を分割して、4両ワンマンでいいから、少なくとも、15分ヘッド、できれば、10分ヘッドなのだと思います。
(ただ、綺麗なダイヤにするためには、部分線増が必要になるでしょうね。東武がお得意な、駅構内の分岐器を遠方に伸ばすという手法を取るにしても。変化球としては、詳細検証していませんが、12分ヘッドだと、現行設備でできるかも・・・。)
川越から、池袋・新宿を目指す人が、そもそもJRを利用するはずはありませんし、定期外利用者の途中駅乗車客の中で、目的地を池袋・新宿とする客もむしろ少数派ではないでしょうか。(昼間は)現実には、大宮でほとんどの客が入れ替わっているように記憶しています。
上野・東京を目指す客は、赤羽乗り換えの方が楽でしょうが、昼間部の利用客は、都内を目指すよりも、埼玉県内移動の方が多いのではないでしょうか?
JR川越線複線化の話は度々出ておりますがJR東日本は消極的な姿勢を示しており、荒川橋りょうの架け替えに際しても単線のまま架け替えとなります(下記(1)=国土交通省関東地方整備局ホームページより、下記(2),(3)=「乗りものニュース」の記事)。
(1)https://www.ktr.mlit.go.jp/araike/jigyou/kawagoesen.htm
(2)https://trafficnews.jp/post/127072
(3)https://trafficnews.jp/post/128308
部分的な複線化も含め、当分実施されないでしょうね。
昼間は、10連3本よりも5連とか6連で本数が多い方が便利ですが、これを大宮での分割併合で実現させるとも思いづらいです。また、10連のまま4本にすると今度は埼京線のサイクルと合わなくなります。
うまい方法が見つからないですが、昼間はどれくらい混雑しているのでしょう。日進あたりでは立ち客が大勢いるのでしょうか?
ちょうど3連休中日の12時台にも乗る機会があって、この時は混雑車輛でも60%切るくらいの印象でした。
また期出の通り、大宮での降車がかなり目立ちます。
今まで幾つかの路線の日中帯の混雑状況を見てきてその一部をここに書いてきましたが、それらと比べた場合に川越線日中の増便が必要かと言われると、うーん・・・というのが自分の印象です。
そのくらいの混雑だと増発はしない気がしますね。利用者がもっと空いている方がいいと思うのは当然ですけれど。
JR東で同程度の利用者数の線区は、常磐線(取手~藤代)13千人3本、内房線(蘇我~浜野)14千人3本、外房線(蘇我~鎌取)12千人4本ですので、川越線の本数が著しく少ないとは思われませんが、どうでしょうか。
西武新宿線の新所沢~入曽は17千人で、川越線を大きく上回っています。輸送量的には毎時5本でも大丈夫そうですが、西武の記事にコメントしたとおり、池袋線の急行10分サイクルにあわせるために毎時6本にして、利便性を確保しているのだと思います。
https://www.mlit.go.jp/sogoseisaku/kotu_census10/17siryou_files/17syutokenn/s1703.xls
ということは所沢市を超える需要がそのくらいなんですね。
新宿線が毎時5本なら池袋線も同じにすべき(利用者数は入間市<狭山市、飯能<本川越)なんでしょうが、駅数の違いや元々の会社の成り立ち(池袋線が発祥。ただし開業は新宿線の東村山〜本川越の方が先)とかもあるんでしょうね
JR東で同程度の利用者数の線区は、常磐線(取手~藤代)13千人3本、内房線(蘇我~浜野)14千人3本、外房線(蘇我~鎌取)12千人4本ですので、川越線の本数が著しく少ないとは思われませんが、どうでしょうか。
そこから出てくる結論は、「JR東日本という会社が、他の鉄道会社と比べて、おしなべて利用者数の割に少ない本数しか運行しない傾向がある」「JR東日本の路線同士の比較は、運行本数が少ない路線同士の比較にしかならない」ということではないですかね。
ひで99さんのコメントによると、川越線の日中の輸送力は輸送量にみあっている印象です。
他方、例えば相鉄いずみ野線(二俣川~南万騎が原)の普通券利用者数は12千人ですが、6本運転されています。自社の不動産事業への波及効果を考慮し、利便性を確保しているのだと思われます。また、西武新宿線新所沢~入曽(17千人)は川越線大宮~日進(13千人)の1.3倍で、3本だと不足し新所沢以東の10分サイクルにあわせるために6本運転にしていると思われます。
本数は輸送量だけでなく、沿線での事業への波及効果や関連する線区のダイヤサイクルによって決まると思いますので、輸送量や波及効果がほぼ同じと考えられるJR東の他線区と比較したことを理解いただけると幸いです。
@沿線需要に受身で対応する
A沿線需要を自ら創る
の両極の間で、異なる経緯や状況の中、@寄りだったり、A寄りだったりしてきたのだと思います。関東では東急の@寄りが目立ち、関西では阪急がそうでしょうか。そしてA寄りでは、国鉄とその後を引き継いだJR各社が目立つかと思います。
何度も同旨を書いたので恐縮ですが、これまでは需要が増加を続けてきたので、@寄りでもA寄りでも会社は発展してきました。この状況は大雑把ですが、関西では阪神大震災あたりまで、関東ではコロナ前まで続いたと思います。そして現在は、関東でも沿線需要をどう創るかに注力することが、生き残りをかけた大きな流れの一つになっていると思います。
こうなると、経験のあり身についている会社は有利です。また、こうした会社は昔から需要を期待できる沿線を営業範囲にしてきたでしょうから、お荷物になる路線か少ない、言いかえれば都心から遠距離に路線がないか少ない好条件下にあるでしょう。
では、これまで➁寄りだった会社はどうしたらいいのでしょうか。
誰もがやりたくないことですが、需要喚起が難しい路線は、廃線が難しければ早期に地域負担を求めて長期的な会社の負担を軽減し、見込みのある線区の需要を創っていくのが、存続するために必要だと思います。
ですが@➁と同様に、見込みの有無は不分明だったり、見込みがあってもこれ以上の積極策は難しい路線が多いと思います。川越線は後者でしょう。
コロナ前、川越線内にとっては大宮以南の快速停車駅が増えたという、今回の京葉線に類似する扱いがありました。
川越線は需要喚起ができる路線だと思います。ですので、沿線にもJR東にも大切な沿線振興をどうやって進めるかを議論して対応を考えることが、具体案がなくて恐縮ですが必要だと思います。何かある気はするのですが‥…。
1つ目は、他人の視線を遮ったり、余計なものが目に入らないようにしてプライバシー感を得られるようにする機能です。
2つ目は、手や足が触れないようにして物理的な接触がないようにする機能です。
今回の阪急の特別車のように座席配置が1+2、新幹線なら2+2ならスペースが広いので、1つ目の機能が主になりそうです。一方、在来線の2+2や新幹線の2+3では狭いので2つ目の機能も大きくなります。ということは、パーティションの必要性は普通車の方が大きいか少なくても同等ということです。
もともとのスペースが狭いとパーティションを嫌う人もいそうです。ですので、どちらかを選べるようにして利用状況をみつつ、どちらかが足りなくなったり売れ残ったりしないよう増減していってほしいと思います。
A.複々線の端部を立体交差にしなくても平面交差が生じない
B.線路別に設置されることが多い電車区などへの接続が容易になる
ことから、工事が簡単で安く早く複々線できることです。言いかえれば、安く早い複々線化が何より優先される場合は、線路別一択になります。
急行線への集中緩和が長所としてあげられます。理屈ではそうかもしれませんが、現実には緩急接続が不便なためにどこの駅でも急行線ホームが欲しくなり、杉並のようなことになると、結局急行線に集中します。川口でもすでに別スレでこの懸念が指摘されています。方向別の京阪神間の方が急行線と緩行線の混雑率の差が少ないところからも、方向別がこの点で有利と単純にいえないと思います。
また、複々線区間の駅数が少ない場合は、緩急接続の効果が少なく利便性に大きな差が出ませんし、複々線の片方が頭端駅の場合は、平面支障の発生が方向別より少なく、多くの列車をさばけるのは長所です。南海の難波・岸里玉出間や、阪急の梅田・十三間の線路別複々線はこのこれら2つを生かし、利便性の低下を防ぎつつ工事費を下げ工期を短縮したと思います。
一方、よくわからないのが駅数が少ない札幌・平和間を方向別にしたことです。貨物駅の関係かと思うと平面交差はありますし、千歳線付替の影響なのでしょうか? どなたかがお書きになっていたいたようにも思いますが‥…よく覚えていません。すみません。
当時の国鉄の複々線化は、山陽線、常磐線、東北線、中央線と線路別ばかりだったので、どこかやりやすい路線で方向別をやりたかったというわけでもないでしょうし。
改めて整理しますと、まず前提として、(1)札幌〜苗穂間の3線化(上下本線+中線。これに加え貨物専用線もあった模様)が実施されていて、その後(2)千歳線北広島〜苗穂間線路切替による苗穂〜白石(当時平和未開業)間複々線化、(3)札幌〜苗穂間高架複々線化(民営化直後)の順に実施されております。
そして、方向別複々線化が実施されたのは(2)のタイミングであり、この時点で札幌〜苗穂間は3線構造ですので、函館線,千歳線の両線の上下本線(旭川方面本線/千歳方面本線と両線札幌方面本線)が札幌〜苗穂間の上下本線(両外側)から両方向とも分岐しやすい(苗穂の東西で同一方向の本線同士を異方向の平面交差なしで接続できる)方向別のほうが好都合だったということなのかなと思います(中線の常用を前提とすれば線路別でも分岐のしやすさは変わらないかもしれませんが、上下兼用の中線はあくまでも副次的な使用にとどめたかったのかもしれません。なお(3)は(2)の複々線をそのまま延長した結果こちらも方向別になったということでしょう)。
私としてはこれ以上なんとも分からないので、当時の事情に関しもっとお詳しい方がどなたかいらっしゃれば何か追加いただければと思いますが、もう何十年も前の話なので、確定的な理由を突き止めるのは難しいように思います。
小田急通勤準急やJR京都神戸線快速などが良い例。
非常対応という意味では複線が一方通行か双単線かというのもありますが、日本では双単線の採用もほとんどないですね。
方向別でも線形や線路外からの安全性を考えて急行線を内側にする京阪や小田急方式と、短距離で折り返す列車が多い緩行線に折返し線が作りやすいように緩行線を内側にする東武などがありますね。
国鉄も線路別ながら方向別の戸塚や乗換階段を増設している錦糸町など乗換しやすさを模索したパターンもないわけではないですね。ただ、何故か折返し乗車しやすい状態の松戸や津田沼なども考えるに基本は工期費用優先が首都圏複々線かなとは思います。
線路別でも一部の駅だけ対面乗換可能なら少しは緩急接続が考えられそうですが、混雑緩和もあってか、首都圏では御茶ノ水と戸塚ぐらいしかないですからね。本当は浦和、松戸、柏、錦糸町、船橋、横浜あたりが方向別乗換なら随分利便性が違ったのでしょうが、混雑や待避線、折返し線も考慮すると難しいところです。
線路別のメリットとして折返し線と待避線が絡む松戸や横浜、東神奈川、西船橋、津田沼、千葉、大宮のような複雑な配線の駅は作りやすいですね。
線路別の停車駅がほぼ同じである中野から三鷹や赤羽から大宮の上野東京と湘南新宿などは方向別への改良も比較的容易だと思いますが、そういう予定もないですね。
なお、京葉線は残骸から察すると方向別複々線の予定だったように見え(工事誌を国会図書館かどこかで紐解けば裏付けできるのでしょうが)、国鉄も工期費用の問題さえなければ方向別にしたかったのかもしれません。
なるほど、施工済の3線化が上下線+中線だったことが影響したのでしょうね。山陽線でも鷹取工場との関係が影響したそうで、「工事費と工期」「利便性」に加え、「既存施設等との関係」も費用と工期に含まれる面もありますが、複々線方式選択にあたっての重要な視点のようです。奥深いですね。
····················…………………………………
2月24日18:03の書き込みで、@(まる1)とA(まる2)の会社を反対に書いていたことにようやく気がつきました。@(まる1)がJR、A(まる2)が東急、阪急です。あまりに明らかな間違いなので、苦笑された方もいらっしゃるでしょう。すみませんでした。
また文字化けしなければいいですが。
なるほど、ダイヤの柔軟性や非常時の転線も重要な視点ですね。
大宮については何度も書いて恐縮ですが、当時その意図はなかったでしょうが、上野東京ラインと湘南新宿ラインの対面乗り換え実現に必要な立体交差は、43.10対応の改良の際に完成しています。後はこの遺産を生かして、ポイントの新設や移設などの配線改良や多少のホーム改良を、特に南側の広い用地を活用して実施すればいいところまで実質的に準備ができています。
JR東はもちろんこのことは知っているでしょう。にもかかわらず取りかかろうとしないのは、私も書きましたし、後に乗りものニュースに同旨の記事が掲載されましたが、対面乗り換えができるようにすると駅ナカの売り上げが減るのを嫌がっているからでしょう。私は優先順位付けが間違っていると思いますが。
·ですが、今度は点線が文字化けしました。
「高野聖」によると午後9時半に新橋を出発、敦賀に翌日の夕に到着、その間正午に名古屋、その後岐阜、米原、長浜、柳ケ瀬に停車したとある。名古屋では弁当を購入した。米原で乗り換えたとの記述は無く、直通列車のように読める。敦賀到着は宵で多数の旅館の客引きをかわして宿に向う様子が描かれている。
著者の泉鏡花は金沢の出身「高野聖」発表時は東京在住。北陸本線は1899年に南から金沢まで達した。自身の帰省の体験を踏まえた記述と思われる。
次の記事は1894年のダイヤを元に検証している。当事東海道線から北陸線に乗り入れる直通列車(あるいは付属編成)が実際にあったのかなど疑問も提示されている。主要駅の着発時刻は前後が大きい。架空の列車かもしれない。一方でダイヤ改正は度々行われていたようで一時点のダイヤだけからは結論は出せない。
泉鏡花『高野聖』の冒頭で描かれた明治の鉄道の旅と敦賀駅
https://note.com/railway_tsuchiya/n/n0fa199cff049
東海道線の全通は1889年。泉鏡花や作中の人物は開業して間もない鉄道を利用していたことになる。
明治時代の時刻表は入手しにくいが次のサイトに主要列車の時刻がある。
時刻表置き場 明治期の東海道線、山陽鉄道主要列車
https://tabletrain.blog.fc2.com/blog-category-34.html
異常があれば停止することは大事ですが、過度になれば関係ない列車や路線なのに大迷惑ということになります。大迷惑を被るのは利用者だけではなく、対応に追われる鉄道会社や職員もです。なので、影響範囲を最小限にする努力がされていると思いますが、個人的感覚としてはまだ成果はあがっていない気がします。
なぜあの駅や列車のトラブルでこの列車までとまる必要があるんだというイライラは早くなくなってほしいです。
だとすると、対応される現場の方々にはお気の毒としか申し上げようがありません。もちろん利用者もですが。
南武線利用者さん提供していただいた時刻表のうち、三四郎が書かれた1908年に近い1906年のものをみると、下関を19時過ぎに出て名古屋に翌日20時過ぎに着く列車があります。
漱石は三四郎を書く以前、熊本に住んでいたことがありますから、その経験を踏まえて三四郎を熊本出身と設定し、また自身も列車を乗り継いで上京したこともあったでしょう。
漱石が鉄道好きだったという話は聞いたことはありませんが、上京の際に列車の時刻はあらかじめ調べたでしょう。三四郎の記述はこの経験を反映して正確なのだと思います。
先ほど、熊本を午前中に出てと書きましたが、今は熊本を9時過ぎに出ると東京に15時前に着きます。一方、三四郎は車中一泊、名古屋の宿でもう一泊して東京には3日目の20時過ぎに着きました。大変でしたね〜
名古屋で列車をいったん下車して宿泊したのは、3等車で二泊連続はいくら若くても明治時代でもつらいからでしょう。鉄道博物館で明治の3等車の内部を見ることができますが、あの座席で二泊は‥…。宿で一泊して体を休めるのは、当時よくあることだった気がします。
翌1899年3月に富山まで延伸されています。全通は1913(大正2)年4月です。最後に開業したのは青海ー糸魚川間です。信越本線は1893年に全通していますから1899年には直江津ー富山は船で残りは鉄道で東京(上野)ー金沢を移動できました。
前回誤って「南武線時刻表」を名乗り投稿してしまいました。申し訳ありません。
しかし今は駅員はいないか、いても知らせを受けて事務室からホームに行くので時間がかかります。また人数も少ないため車掌も手伝ったりして、運転再開まで昔は1分だったのが、5分10分かかっていそうです。会社も何とかしたいと努力しているのでしょうが、すぐには改善できないでしょうね。うまい方法が見つかればよいのですが。
一方、混雑は緩和してきているので、昔なら運転再開まで5分もかかれば人が溢れて大混乱になっていたのが、たいていはなんとかなっているのが現状だと思ます。まあ不幸中の幸いです。
かつては東京、大阪などの満員電車が海外の注目を集めていたようですが、今の東京程度の混雑は、海外のあちこちにあるようです。代わって有名になっているのは、車内の静かさではないかと思います。
埼玉高速は普段の倍の本数かつ1線につきホーム1つを使うことで何とか捌けていますが武蔵野線は列車内はさることながら試合終了後のホーム混雑が悪化しているように感じます。
埼玉高速は今の本数なら下手に運用を変えると混雑が悪化しそうですし武蔵野線は東所沢〜吉川美南で良いので臨時列車を出して欲しいと感じました。
例外として思いつくのは、山陽線の荷物列車牽引をEF58から引き継いだ高速性能が劣るEF62、くろしおの381系を置き換えた287・289系、キハ281・283系を置き換えたキハ261系、重かったキハ40系列くらいです。(他にもありそうですし、間違っているかもしれません。教えていただけるとうれしいです。キハ40系列はダイヤ修正まではしていないかも?)
しかしながら今後は、経費縮減が初期費や走行費などでさらに必要になりそうなこと、ラッシュ時の運転本数が減り運転間隔が伸びると必要とされる高加減速性能が下がることなどから、こうした事例が増えそうな気がします。
気になるのは、あづさ351系より振り子性能が上でハードルが高そうなしなの383系の後継車、播但線の2M編成の103系の後継車ですが、これも他にもありそうで教えていただけるとうれしいです。
凄いと思います。
優先席ですが、みていると優先に該当していない人が座っていて、該当する人が来ても譲らない場面をよくみます。むしろ譲るのを見る方が稀です。もちろん、外見ではわからない場合もあるでしょうが、あんなに多くはないでしょう。そういう輩は寝たふりをしたりスマホをみて気がつかないふりをしているので、だいたい見当がつきます。
これはマナーというか、躾のレベルかもしれません。こういう場面をみると、優先席ではなく専用席にすべきと思います。専用席にしても座る輩はいるなど、全て解決するわけではないでしょうが、それなりには優先者が座れるようになるでしょう。
日本、日本人には優れたところが多いと思いますが、劣るところ、遅れているところ、恥ずかしいところも多いと思います。マスコミも取り上げるべきと思いますが、テレビだと自画自賛半分の番組ほどは視聴率が取れないとみているのかな。
また、優先席の場合、譲る人はそもそも座らないというバイアスもある可能性があります。
専用という言葉によって(鉄道で行われている数多の協力のお願いの前例からして専用席であろうが、鉄道会社が規則上の真の意味の専用にすることは残念ながら無いでしょう。)、さらに抑止はされるかもしれませんが、いい傾向だとは個人的には思えません。
ともあれ、優先席なるものでしか譲らないのがそもそも良いマナーではないことは確かでしょうね。(足が不自由だったりという座席が必要な人間を車両の端まで歩かせる(昔々の先頭と最後尾よりは増えましたが)という発想がそもそも変といえば変なのです…という発想に立った阪急や横浜市がうまくいかなかったという結果もあるわけですが…主観で言えば中国等で優先席だから譲る、違うから譲らないというのはあまり感じたことはありません、必要ならどこだろうと譲ると感じます)
ダイヤに絡めていえば、マナー関連では整列乗車の良し悪しですかね。乗降をスムーズにする一方でホーム混雑を助長する面があり、本当はケースバイケースでしょうが、並ばせない駅は少数派ですし、並ばないでという階段脇ゼブラゾーンや並ぶなという駅でも往々にして列が出来がちです。
昔の電車の一部には閉まっていないドアだけ再開閉できる機構があったと思いますが、最近の電車にはない気がします。
なぜなくなったのでしょう。昔ほど混雑しないとか、ダイヤも昔ほど密ではないので少々遅れても大きな影響はない、といった理由でしょうか。それとも有効な機構ではなかったとか、私が知らないだけかなのかな‥…。
いくらやっても定着しない、利用者間のトラブルを避けたい、職員がトラブルに巻き込まれるのを避けたい、とかが理由なのでしょうか。
いろいろな意見はあるでしょうが、片側空けをやめるのは適切だと思います。こういうことには時間がかかります。今ここでうやむやにすると、はしごを外すことにも、利用者に丸投げすることもなります。
掲示や呼びかけは長く続けて、会社の姿勢を引き続き明確に示すことが必要だと思います。
一方、これは頻繁に利用するJR京都駅の2番線、ここでもダイヤが乱れて快速や新快速が詰まることがしばしばありますが、後続ははるか彼方で停まっています。京王なみは無理としても、もう少し詰められないものかと思います。
先行が出てから後続が入って来るまでずいぶんと時間がかかり、後続の発車は4分後くらいになります。配線が複雑で信号もどうこうといったことがあるにしても、1分くらい詰められないものかと思います。